ご無沙汰していました


なんだかんだで、半年以上ブログから離れていました。
今回は、しばらく休もうといった積極的な気持ちもなく、「ただ書かない」日が続いただけだったように感じています。ブログを書くどころか、パソコンに向かうことさえ、なんとなく億劫になり、気がつけば半年が過ぎていました。今では長い時間webに漂うこともなくなっています。
ブログを始めた頃、今とは比較にならないほど実生活は忙しく、それでも時間を見つけては長文のエントリを書いていました。というか、正確に言えば、ろくに眠れなかったから書く時間は結構ありました。書くのはあまり速い方ではないので、随分と時間をかけながら書いていたことを思い出します。
ブログは、ままならない想いを抱えながら過す実生活から逃げ込める数少ない場所のひとつでした。仕事から離れることができず無性に仕事と関係ないことがやりたくなっていた私は、眠れない夜、エントリを少しずつ書いていきました。しんどいけれども、それは楽しく充たされたひとときでした。


この頃ようやく、たとえやりたくない仕事を持ち込まれたときでも、何か面白いことを見つけてやろう、面白がって仕事をしてやろうという気持ちが、少しずつではありますが、持てるようになってきました。仕事について考えることが、あまり苦ではなくなってきました。夜もそれなりに眠っています。
今の私には、仕事からの逃げ場所としてのブログは既に必要でないのかもしれません。
正直、ブログを書くのがもう面倒くさいという気持ちはあります。


けれども、ブログを書かなくなって以来、今ここで自分が感じていることや一所懸命考えていることが、うまく表現できなくなってきているのをしばしば感じます。
最近は、記録するツールとして手帳を使う機会が随分多くなりましたが、そのときそのとき、思いつくまま自由気ままに書き込んでいるせいか、読み返してみるとあまりに散漫でまとまりがないような印象を受けます。
今の自分が、「ああでもない、こうでもない」と迷いながら考えた想いの軌跡といったものを、垢抜けない言葉でもかまわないから、もう少しまとまった形で表現してみたくなってきました。それを伝えることはもちろん、はっきりと自覚するためにも、言葉にすることの必要性を感じています。
とはいえ、なんだかんだいっても、再び書こうと思った一番の理由は、取るに足らない数ではありますが、私のブログに立ち寄っていただける大切な友人たちに私の声を聞いて欲しいからです。ブログから離れて以来、なんとなく寂しくものたりない感じに囚われています。結局、自分の声を聞いてもららうことで安心したいのです。
だから、私は私自身のためにブログを再び始めようと思います。


矛盾しているようですが、今の私はブログを書くのが随分と億劫になっています。
そのため、これまで書いてきた「コラムのようなもの」はかなり減り、より日記に近いエントリの割合が増えると思います。
力むことなく、もっと気楽に、仕事やプライベートの合間にさらさら書いていこうと思っていますので、エントリ数が増える可能性が万に一つくらいあるかも知れません(笑)。

 『ぐるりのこと』を観てぐるりのことを想う


「今日はどうだった?」
映画を観て帰ると、いつも妻がこう尋ねる。
妻は、どちらかといえば、家でごろごろしながらTVドラマを観るのが好きで、面白い映画と聞けば自分も……、というところはない。どうも映画の内容よりも私が楽しんできたかどうかが気になるようなのだ。変な奴である。
私も私で、面白かった時は、妻の興味があろうとなかろうと、映画の感想を勝手に喋る。ことあるごとに喋る。聞いて欲しいので喋る。自分本位と言えば、そう言えないこともない。


さて、『ぐるりのこと』である。
「ぐるり」とは、くるりでも、グリルでも、ドリルでも、グリとグラみたいなものでもない。「周辺」のことである。このブログのカテゴリーにもある「わたしの周りで」の「周り」のようなものと思っていただけばよい。
『ぐるりのこと』では、中年へとさしかかった、とある夫婦の周りの出来事が時系列で描かれていく。
自宅、夫の職場、妻の職場、兄夫婦の家、妻の実家……、夫婦を取り巻く様々な場所に場面を移しながら、小気味よくエピソードが積み重ねられる。法廷画家という夫の特殊な職業柄、法廷場面も登場するが、それ以外はとことん日常的な出来事である。が、その一つ一つは、夫婦にとって節目にあたるとても重要な出来事でもある。
それぞれの出来事を通じて、夫婦の心のありようが微妙に移り変わっていく。場面場面でそれがじんわりと伝わってくる。淡々とした語り口だが、実に繊細で周到な演出により丹念にエピソードが編まれていく。


うちの妻は片付けができない。とんでもなくできない。
私は、ものがゴタゴタある部屋や散らかった部屋が大嫌いで、妻の片付けの能力にも大いに不満はあるが、妻のことが嫌いなわけではない。
妻に言わせれば、私はひとをあまり褒めないらしい(ちなみに仕事ではよく褒めているつもりです)。「あなたは褒めないうえに、ひとのできないところばかり指摘する」と言う。片付けている最中にもぐだぐだと不満を口にする私に、「やる気をなくした」と中途半端で投げ出してしまうことも多い。
けれども、腹を立てたり呆れたりしていても、私のことを嫌いなわけではない(と思う)。
随分部屋も散らかってきたなぁ、そろそろ片付けないと限界だよなぁなどと、映画を観ながらぼんやり考えていた。


女好きではあるものの妻への恋愛感情はすでになく、何かにつけ他の女性が気になる夫(リリー・フランキー)。夫がよその女性にちょっかいを出すのを我慢できず、プライベートでも仕事でもこうあるべきと信じることをきちんと守り通そうとする妻(木村多江)。
恋愛感情がすでに失せてしまった夫婦生活に夫は何の期待もしていないように見え、かつての恋愛感情をもう一度夫婦生活に呼び起こそうとしている妻は苛立ちを隠せない。ふらふらした夫とイライラした妻……。


夫婦生活が恋愛感情で成り立たつのであれば、うちの夫婦などはとっくの昔に終わっている。
一緒になって20年近くになるが、毎日、お互いの違いを思い知らされながら生きてきたような気がする。こんな奴かと思えば、また違った面が現れるといった繰り返し。共感できる部分もあれば、とんでもなく嫌な部分もある。
そんな二人の間に恋愛は成り立つはずもないが、それでもやっぱり妻のことは愛しく思っている。
当たり前の話かもしれないが、夫婦の間の愛情は、恋人の間のものとも、親子の間のものとも違っているように思う。いうなれば、自分との付き合いに似ているのかもしれない。好きな面も嫌いな面も全て抱えながら、ときには楽しく、ときには仕方なく、それでも一所懸命にともに生きる。それが夫婦のような気がする。
きっと、恋愛のない生活に満足できない人は、別の異性のもとに走るのだろう。


何かにつけよその女が気になったり、自分のいいたいことも言えずへらへらしたりしていた夫が、嵐の夜を境に、それこそ必死になって妻を支えようとする。誰にも受け入れられていないという疎外感と罪の意識に苛まれていた妻も、その日を境にようやく夫の深い愛に気がつく。
夫と妻の微妙な心のひだが、さりげない表現ではあるが、それまでのそこかしこの日常生活のシーンやときには法廷シーンにも丁寧に積み重ねられてきているため、このシーンが唐突ではなく説得力を持って確かに伝わってくる。


木村多江がいい。
華やかさに欠ける印象が彼女から主演の機会を奪ってきたようだが、この作品のテーマはむしろ彼女の地味さを必要としていた。満を持しての初主演だ。女優ならば嬉しくなかろうはずがない。彼女の記念碑的な作品になると思う。
素のキャラクターを上手く生かしたリリー・フランキーとは対照的に、後半での別人のように生き生きと立ち直った妻を演じる表情にプロフェッショナルとしての確かな演技力を感じる。特にお風呂のシーンでの嬉しそうな表情などは、「恐るべし、木村多江」と感じさせるに十分であった。
前述したように、リリー・フランキーは素のキャラクターを自然に表現できていたと思う。ことさらに芝居をしようとしてこけることなく、素の自分の味を素直に表現できるのは、それはそれで役者としての非凡な才能と言えよう。
リリーさんの持っている、なんとなくゆるい感じとそこはかとなく漂うエロい感じが、うまく夫のキャラクターに生かされている。


日常生活を題材とした小品にありがちな、いじけたところがないのもいい。全篇が極めて健全な倫理観で貫かれていることが、作品を重さから逃れさせている。「生きていくのは素晴らしいことだ」というテーゼが、法廷シーンや日常のシーンの端々にも感じられる。


西日の射すベランダで、陽の光をいっぱいに吸いこんだトマトを写生する妻とその妻に寄り添いトマトにかぶりつく夫。にこやかに会話がなされ、トマトの汁が垂れていく……。
充実した生命にあふれたシーンが鮮やかに心に残る。


映画レビューが思わず2回続くことになったが、書いておかなければと感じさせるに十分な力を持った作品だった。
今年一番の佳作かもしれない。

 『西の魔女が死んだ』


学校に行くことを拒んだ女子中学生まいが、自然に囲まれた山荘でおばあちゃんと一緒に魔女修行と称する生活を始める。魔法を修得するわけではない。魔女修行とは、即ち、「自分で決める力、決めたことをやり遂げる力」を養うこと。おばあちゃんとの生活で、まいは生き生きとした力を次第に回復していく……。


梨木香歩の小説『西の魔女が死んだ』が映画化された。
物語に流れるゆっくりとした豊かな時間や物語を包む爽やかで優しい癒しの空気など、原作の味がかなり忠実に再現されていると思う。
なかでもおばあちゃん役のサチ・パーカーが醸し出す気品が、そのまま作品全体に気品を与えている。素のサチ・パーカーは、おばあさんでもないし、失礼ながら、それほど上品にも見えない。だが、素敵なおばあちゃん像を創り上げたことが、まず映像としての作品を成り立たせている。
なによりも、彼女の声がいい。甲高く響くところの全くない、ゆったりとした余裕を感じさせる声のトーンは、聞くものの心を落ち着かせる。そして、それが作品に流れる雰囲気を演出するのに大きく一役買っている。
キム兄演じるゲンジも、存在感があった。美しい自然に囲まれた場で生活をしながらも世俗にまみれ、ぶっきらぼうで他人を寄せ付けぬところのあるゲンジ。まいが生理的に受け入れることのできないゲンジという人物のキャラクターとその生活の造型は、原作を忠実に映像化しただけといってしまえばそれまでだが、おばあちゃんの生活に対して鮮やかなコントラストがつけられていたと思う。
ひとは心地よいものだけに囲まれて生きることはできない。おばあちゃんとの心地よい生活に、なにかと侵食してくるゲンジを排除しようとする、まいの心の葛藤が効果的に描かれるためにも、このコントラストは重要だ。


いろいろな決断をしながらひとは生きている訳だが、生きていく上での決断は、大きく二つに分けられる。
一つは、他者との関わりのなかで、あるいは、仕事や学校生活を送っていくなかで迫られる受身的な決断。二つ目は、「自分がどう生きるか」という命題の下に自分が何をするかを決めていくという能動的な決断。
そして、決断が実行に移されるには、さらに二つのことが大切になってくると思う。
ひとつは、どういう目的を持ってその決断を下すかということ。ビジョンが明確でない決断は、やがては方向を見失って立ち消えやすい。もうひとつは、決断したことが引き起こす「結果に自分が責任を負うという覚悟」だと思う。自分自身を振り返ってみて、数多くの決断が守られずに消えていったのは、この覚悟が不足していたのではないかと感じている。
自分のための人生を送ろうとするとき、自分の人生を楽しもうと思うとき、能動的な決断を下し、それを実行することがとても大切なのではないだろうか。そうすることで初めて、ひとは生き生きとした活力を持って生きることができるように思う。
魔女修行と称したおばあちゃんとの山荘生活を通して、「自分で決め、やり遂げること」という生きるために最も必要なことを学んでいくまいの姿が作品では淡々と描かれていく。
もちろん街の中でも、生きていく力を身につけることはできる。しかし、社会から遠ざかった自給自足に近い山中での生活では、一つ一つの決めごとや行動そのものが、即、生きていくということそのものになるという点で、どう生きるかというテーマと日々の生活の過しかたが密接に結びつきやすい。


他方、生きていく上では他者との関係が極めて重要であるにもかかわらず、この山荘生活において、おばあちゃん以外の他者との繋がりは甚だ希薄と言わざるを得ない。現代の少女が、山荘生活になじめるかどうかという問題は別にして、まいの周りには携帯電話もPCもない。コミュニケーションツール(TVやゲームも、話題づくりという点ではそういえるかもしれない)を必要としていないまいの姿は、奇異にすら映る。
繋がりから隔絶されることへの不安・葛藤がまいからは感じられない。繋がりを拒んでいるようにさえ見える。まいが感じるおばあちゃんとの生活の心地よさは、取りも直さず、いろいろなものからの繋がりから開放された心地よさなのかもしれない。
「わたしはもう学校へは行かない」と心に決めて、おばあちゃんの家にやって来たまいには、「自分で決めること」は、既にある程度可能であったと言える。むしろ、自分の世界と他者の世界との折り合いをつけることが、まいにとって重要な課題だったのではないだろうか。


まいの抱える問題は、ゲンジを拒む気持ちに如実に表れる。
ゲンジへの疑念が膨らむ一方となり、ゲンジの世界が自分の世界に侵食してくることがどうしても許せなったまいの心は乱れ、おばあちゃんに救いを求める。が、そんなまいの心をおばあちゃんは受けとめてくれない。
信じるに足りる根拠はあるものの、証拠のない憶測に囚われるまいに、おばあちゃんは怒る。おばあちゃんにしてみれば、自分には分かっていてまいには分かっていない真実をどうしても伝えたいからだ。自分が正しいと思う方向にひとを導くことのできない苛立ちが、作品の中で初めておばあちゃんを襲う。
しかし、正しいことを正しい言葉で相手に伝えても、相手の心には届くとは限らない。大切なのは、相手の心が言葉を受け入れることができる状態にあるかどうかだと思う。相手の心を大切に思う気持ちこそが、言葉を相手の心に届かせることができる。
その時まではいつも、おばあちゃんの言葉はまいの心に届いていた。それは、まいの心を尊重し、信頼する気持ちが伝わっていたからだろう。
正しい方向へ導こうとするあまり、まいを初めて管理しようとするおばあちゃん。すれ違う心。
人は自分で決めたことしか守れない。人が人を管理することはできない。
まいは、おばあちゃんと激しく対立する。
ここでまいが自分の気持ちをストレートにぶつけられたことは、魔女修行を通しての成長を物語る出来事であり、むしろ歓迎すべきことのように思われる。まい自身の心の成熟と自己の感情表現が出来たことの顕れと考えられるからだ。
けれども、相変わらず自己と他者との折り合いや繋がりといった問題を残したまま、まいはおばあちゃんと別れ、両親の元で再び学校へ通うようになる。
その後、どのようにまいがこの問題を解決したのか、作品では触れられていない。この問題に関しての消化不良は作品としての完成度を下げているように感じられ、甚だ不満が残った。(『西の魔女が死んだ』の文庫本には、もう一話『渡りの一日』という短編が収められていて、そこには新たに学校に通うまいの姿が描かれている。この短い物語は、この問題をある程度補完する目的で書かれているように思われる)。


生と死という問題も、この作品の大切なテーマだ。
自然の中での暮らしは、住むものに知らず知らずのうちに生命の繋がり、広がりを教えてくれる。
鶏の産む卵や採取した植物などを食べながら自然の恵みに感謝して暮らす日々、おじいちゃんからの恵みさながら群生する野苺やおじいちゃんが好きだった花との偶然の出会い、ちょっと前まで生きていたものの生々しい死など……。日々の自然の変化に気づくだけにとどまらず、そこで様々な体験をしていくことで、まいは生と死について想いをめぐらすようになる。
おばあちゃんの死という体験がまいにとって大きなものとなるだろうことは想像に難くない。そして、ラストのメッセージはこの物語を上手く結んでいるとは思う。
しかしながら、生命が生まれ、やがて還っていく場所としての自然、そんな自然の持つ神秘的で大きく包み込むような力を作品でもっと表現して欲しかった。そんな自然の中でのひとの営みが、美しい自然に囲まれた心地よいslow-life的な生活の描写にとどまってしまっているように感じられたのはちょっと残念に思った。

 奈良へ行ってきた(下)


天理駅から出発し、郵便局のあたりで早くも腰にこわばる感じが出てきた(どのくらいの距離か興味のある方はGoogleなどで調べてください。笑えるくらいの距離です)。山の辺の道を辿るつもりで出発したものの、まだそのスタート地点にも立っていない……。


不安の中での出発だったが、途中何度も立ち止まってストレッチを繰り返しながら、へろへろになりつつ、なんとか終点の桜井駅まで辿りつくことができた。
歩いたからといって、別に威張れるほどの道のりでは全くないが(おそらく年配の方でも歩ける距離です)、腰痛というハンデをかかえながら本当によくやったと桜井駅に着いてしみじみ思った。そして、こうして書き連ねながら、もう一度自分を褒めている。
なにが山の辺だ、山中じゃねぇか、と思わず突っ込みたくなる場面もあったものの、歩きとおしてみれば、腰痛との二人旅はだんだんと美しく楽しい思い出のような気もしてきた……。
と、突然、右腰に衝撃が走った。
歩道と車道との段差を踏み外し、右踵から強く車道に着地してしまったようだ。
けれども、なんということか、その直後から、右腰にあった痛みが嘘のように消えていた。おそらく右脚の踵から頭側へと右脚の長軸方向にかかる力が、右股関節、右仙腸関節、それらの周囲の筋肉に、偶然、極めて巧みに作用して右腰の痛みを取り除いたに違いない。
そう、次の瞬間、私は歩道から踏み切って車道に左踵から着地していた。
着地した瞬間、左膝の裏に痛みが走った。おまけに左腰の痛みは変わらない……。
物事はポジティブに考えるべきである。
「右腰の痛みがたまたま消えて本当によかった。右膝が痛くならなくて本当によかった。」
そう考えることにした。
1時間後、再び右腰には痛みが戻ってきて、左膝の痛みはその後さらに2日間続いた。


奈良の田舎の風景は、私の生まれた香川県の田舎の風景に似たところがある。
田圃の海の中に小高い丘や小山がぽっかり島のように浮かぶ。
奈良ではその多くが古墳であるが、香川ではその多くが山や丘だ(古墳もあるが)。
古墳であろうとただの山であろうと、その風景の見え方にそれほどの違いもない。古墳は古墳と思ったとき古墳に見える。
山の辺の道を歩いたとき、飛鳥路を自転車で走ったとき、なんだかとても懐かしい風景の中にいるような錯覚を覚えた。
それとともに、懐かしさだけではない、ある思いが浮かんだ。
「古代の人も、この風景を眺めていた。」
いや、古代の人には限らない。むしろ古代から中世、近世、近代、そして現代へと続く連綿とした時の流れの中で、数限りない多くの人々がこの風景を眺めていた。そして、その風景を今この時、私が眺めている……。
時とともに風景も移り変わる。今の景色は、古代の景色とは大きくかけ離れたものかも知れない。ただ、自然の織り成すその地形や眺めにはそれほど変わらないものもあるだろう。
かつて柿本人麻呂が、小林秀雄が、ここに立ってこんなことを感じた。そして、今、その風景の中に私が立ってこんなことを思っている。


「わたしはここにいる。」


わたしの感受性など、彼らのような巨人に比べれば、ほんとに、ほんとにちっぽけなものに違いないが、たおやかに流れていく風景の歴史の中にいる自分を感じていた。
山の辺の道、飛鳥路、そして明日香で幸運にも偶然眼にすることができたキトラ古墳の十二支の絵の前でも、風景や事象に対して湧きあがってくる感想よりも先に、たとえそれが倣岸不遜な感情であろうと、自分の存在を確かに感じたのである。


歴史や伝統に触れるということは、そのようなことではないかと思った。

 奈良へ行ってきた(上)


自転車を立ち漕ぎしながら、坂道を登る。初夏の陽射しはすでに十分に強く、汗がすぐに吹き出してきたが、頂上を目指してひたすら漕ぎ続ける。
「立ち漕ぎなんて学生の頃以来かも……」
記憶を懐かしんでいるうちに、てっぺんを越え下り坂に入った。涼しい風が体を包み、心地よい。ブレーキもかけずに一気に坂を下る。
世間の大人たちは、今時分、仕事の真っ只中にいる。この前まで確かに自分はそこにいたはずだが、随分と遠くのことのように思えてきた。
「どうしてこんなところで自転車を漕いでいるんだろう」
平日のこんな時刻に嬉々として飛鳥路でレンタサイクルを漕いでいる自分が、なんとも不思議で、可笑しくなってくる。


ドラマ『鹿男あをによし』に出てきた若草山からの眺めをどうしても見たくなった。
幸い時間は有り余るほどあったので、5月に2泊3日で奈良に行ってきた。


幼稚園の年少の頃に一度だけ奈良に行ったことがある。ドリームランド(ジャングルクルーズのようなものに乗ったのと鏡が張り巡らされた迷路に入った覚えがある)が楽しかったこと、大仏の大きさに驚いたこと、鹿せんべいを握り締めたまま鹿に取り囲まれて泣きそうな気持ちになったことなどが、おぼろげに思い出される。
あらためて訪れてみて、正直、「奈良、すっげー」と思った。
小・中学校の修学旅行で終わらすには、ほんと勿体無い。古代〜中世の人々の思いが、時を越えてずんっと伝わってくる。ひとの力って素晴らしいと思った。


東大寺南大門の金剛力士像。
門をくぐり抜けようとすると、両脇にいきなりぬっと現れる巨大な像。
実際、大きさにも驚かされるが、静謐な立ち姿の内から溢れ出してくるエネルギーの大きさに呑み込まれてしまうような錯覚を覚える。背後に広がる闇の番人のような圧倒的な存在感だ。
前面に張り巡らされた金網に視界が遮られるのが邪魔といえば邪魔だが、金網の向こうの暗闇に像を閉じ込めてしまうことで、かえって力に包まれた像の神秘性が増幅されて感じられるような気もする。いつまで見ていても飽きることがない。
写真で見る金剛力士像は、頭が大きく不恰好な印象すらあるが、実物を見上げるとそんなバランスの悪さは微塵も感じない。参拝する者の目線も計算した上での均衡とも言われている。
ギリシア・ローマ彫刻よりは遥か後の時代とはいえ、ルネサンスよりはかなり早い時代の作だ。
運慶のプロデュースにより69日間で完成させたとのこと。職人たちの技術力の高さも相当のものだが、それほど高度な技術が秩序だって組織されたということは驚異的だ。中世日本の彫刻のレベルの高さには心底舌を巻く。
運慶のイメージする「力」が、ここには余すことなく表現されている。


仏像を眺めていると、飛鳥・白鳳と天平では明らかに一線を画しているのに気づく。
飛鳥・白鳳の仏像の多くがエキゾティックで没個性的なのに比べ、天平になると仏像の表情に個性と和の色合いが感じられ始める。感情表現が豊かで深く、全身像には自然なやわらかさが漂う。心静かにみつめていると、じんわりと心がほぐされ、ほどけていくのを感じる。


観光客で賑わう大仏殿の喧騒とは対照的に、東大寺の西のはずれにひっそりと佇む戒壇堂。
堂の中は閑かな緊張感のある空気に包まれている。自然と身も心も引き締まってくるような気持ちになってくるのも悪くない。
ほの暗い閑けさのなか、建物の四隅を守るように立つ四天王像が、意外に小ぶりで繊細な造形であることに驚く。鎌倉仏の筋骨隆々とした姿と比べると、その肢体は実にしなやかに映る。
しかし、金剛力士像の外に向かう力とはまた違った力、内に蓄えられどんどん膨れ上がっていくような力が、四天王像にはある。
とりわけ広目天多聞天の、守護の重圧に耐えるような内省的な表情がいい。
そういえば、小学生の頃、多聞天の写真を見て「琴櫻(先代の佐渡ヶ嶽親方、故人)だ」と思ったことがある。実物を見てあらためて琴櫻が連想されたが、その体躯ははるかにスマートであった。


仏像鑑賞の趣味などなかったが、大和路の仏像には、ただその造形の美しさに魅せられるにとどまらず、そこに込められた精神の気高さに心が揺さぶられるのを感じる。これが仏像鑑賞の魅力なのだろう。
感想こそ書かなかったが、三月堂、興福寺国宝館、薬師寺などでも、仏像の前でのひとときは、心やすらぐかけがえのない時間に感じた。
法隆寺で仏像を見る時間が無かったことと新薬師寺に立ち寄れなかったことが、なんとも残念でならない。


若草山から見渡した奈良の町は、曇天にもかかわらず、とても清清しく、その夜の奈良町での夕食は、法隆寺の伽藍を思わす端正な味で、これまた結構でした。(久しぶりの書き物で、疲れてしまいました。以下は次の機会に(いつのことやら……笑)。)


追記
6月から新しい職場で働いておりますが、ニート生活のつけで、未だに仕事の勘が完全に戻らず、そのうえ職場にまだ馴染んでいないこともあって、右往左往の毎日です。
それでも、ようやく楽しく働くことができそうな予感を感じています。
5月の終わりは、なんだか夏休みが終わってしまう時のような気持ちになりました。あのなんとも嫌な感じ……。就職が決まってみると、休みって本当にいいものだとしみじみ思いました。
働いていない間はなんだか気持ちが落ち着かず、毎日ひどい腰痛にも悩まされていました。時間はたっぷりあったのに、とんとブログにも向かおうという気も起こらないまま、ものの見事に更新は皆無ということに……。
ボツボツと5月のできごとを思い出しながら書いていこうと思っています(遅っ! 笑)。

 5月からニートになります


突然ですが、4月30日で今の職場を辞めることになりました。5月からは無職です。なんでもニートを名乗ってよいのは35歳までだそうで、全くのオーバーエイジ枠です(笑)。


辞めた理由は、一言で言ってしまえば、経営者のやり方が気に入らなかったからです。
どんなサービスを提供するのかという方向を示すことができない。問題に正面から向き合わないため、事が起こってしまってからあたふたする。人材を有効に活用できず、「人は従来からずっとやってきたルーチンワークを埋める頭数に過ぎず、コストにしか過ぎない」という考えから抜け出せないため、新たな事業の展開ができない……。
不当な人事も相次いだため、法人の行く末を案じた有志で再生プランを掲げ、「私たちが辞めるか、あなたが辞めるか」という決断を経営者に迫ったのが3月のことでした。


様々な経緯はあったのですが、結局、私たちが辞めることになりました。
残された患者さん、施設の入所者や利用者、そして職員の方々には、申し訳ない想いで一杯です。
随分と慰留も受けたので、職場に残るという選択肢もないわけではありませんでした。
しかし、言い訳になるかも知れませんが、従来のやり方ではそれらの人たちが不幸になると考えたからこそ、私たちは行動したのだという自負はあります。
そして何より、「お前たちは要らない」と判断した経営者(騒動の後、さすがに影響力はいくらか下がっているようではありますが、経営陣の1人として現在も残っています)の下で、私は働くことはできません。


もともと新たに内科を立ち上げ、病院を再生しようという目的でこの職場にやってきた訳ですから、結果については無念でなりません。
けれども、最後の1ヶ月は、自分なりに目的に向かってせいいっぱいやったという思いもあります。
ともに行動した仲間は、かけがえのない仲間になりました。できることならまた、ともに働きたい人たちです。


だから、この職場にやってきたことは大きな意味があったのだと、戦い終わった今、しみじみと思っています。

 安藤美姫の魅力


世界フィギュア選手権が始まる。
女子では、浅田真央金姸兒の力が抜けており、安藤美姫がそれを追う形かと思う。
昨季、浅田は成長した体と自分本来のスケートとのバランスを取ることに苦戦していたように見受けられ、金はコンディション面での問題を抱えていた。
安藤は昨季の世界女王だが、浅田がショートプログラムで躓き、金がフリーで大きく崩れたため、漁夫の利的な要因があったことは否定できない。
しかし、トリノでの転倒以降、まるで4回転の呪縛から解き放たれたかのように安藤のスケートが輝きを取り戻したのを感じる。


ジュニアで4回転を跳び、『トリビアの泉』で眼が回らないスケーターとして人気を集めた愛くるしい少女は、やがて成長し、大きな壁にぶつかった。トリノオリンピックを前にした安藤は、浅田の存在に怯え、萎縮し、4回転ジャンプと自己のスケートの価値を同一化させることで、かろうじて精神のバランスを保っていたように見えた。
矛盾するようだが、トリノでの転倒以前から、4回転が既に自分の手から零れ落ちていたことを安藤はうすうす感づいているようにも伺われた。 
跳べない自分と跳ばなければならない自分を抱え、4回転に挑んだトリノでの演技。ジャンプで転倒したあとの彼女の表情からは、喪失感よりもむしろ解放感を感じた。
トリノで4回転を失ったとき、安藤は、自分のスケートに残されたものを初めて見つめ始めたのではないだろうか。


喪失と再生。
トリノを境に、安藤は新たな境地を見出すことに成功したように思われる。
私は、フィギュアスケートに関してずぶの素人なので、全く的外れであることも覚悟しながら敢えて言わして頂くと、安藤のスケートの魅力は美しい上肢の動きにある。
モロゾフコーチの振り付けも、安藤の美しい動きを十分に意識して演出されているように思われる。個性的な振り付けで華麗なステップを舞う際やスピンの際、指先まで神経の行き届いた安藤の上半身の動きは他の追随を許さない。
フィギュアスケートは滑りを採点する競技である。だから、上肢がどのように動こうとも、おそらく、それは採点対象の外にあるのだろう。
それでも、安藤の指先が描く美しい軌跡は、観た者の心の中に残る。女子フィギュアスケートが美しさを競いあうことから逃れることが出来ないものである以上、それは安藤の大きなアドバンテージだ。


安藤のスケートには、残念ながら、浅田のような柔軟性とスピードはない。そのため、二人がベストの演技を行った場合、安藤と浅田の間にはどうしても越えられない壁があるように思われる。
しかし、難度の高い技は、成功する確率が低いからこそ、難度の高い、高得点の技として成立するのである。
2008世界フィギュア選手権。安藤美姫の闘いから眼が離せない。