奈良へ行ってきた(上)


自転車を立ち漕ぎしながら、坂道を登る。初夏の陽射しはすでに十分に強く、汗がすぐに吹き出してきたが、頂上を目指してひたすら漕ぎ続ける。
「立ち漕ぎなんて学生の頃以来かも……」
記憶を懐かしんでいるうちに、てっぺんを越え下り坂に入った。涼しい風が体を包み、心地よい。ブレーキもかけずに一気に坂を下る。
世間の大人たちは、今時分、仕事の真っ只中にいる。この前まで確かに自分はそこにいたはずだが、随分と遠くのことのように思えてきた。
「どうしてこんなところで自転車を漕いでいるんだろう」
平日のこんな時刻に嬉々として飛鳥路でレンタサイクルを漕いでいる自分が、なんとも不思議で、可笑しくなってくる。


ドラマ『鹿男あをによし』に出てきた若草山からの眺めをどうしても見たくなった。
幸い時間は有り余るほどあったので、5月に2泊3日で奈良に行ってきた。


幼稚園の年少の頃に一度だけ奈良に行ったことがある。ドリームランド(ジャングルクルーズのようなものに乗ったのと鏡が張り巡らされた迷路に入った覚えがある)が楽しかったこと、大仏の大きさに驚いたこと、鹿せんべいを握り締めたまま鹿に取り囲まれて泣きそうな気持ちになったことなどが、おぼろげに思い出される。
あらためて訪れてみて、正直、「奈良、すっげー」と思った。
小・中学校の修学旅行で終わらすには、ほんと勿体無い。古代〜中世の人々の思いが、時を越えてずんっと伝わってくる。ひとの力って素晴らしいと思った。


東大寺南大門の金剛力士像。
門をくぐり抜けようとすると、両脇にいきなりぬっと現れる巨大な像。
実際、大きさにも驚かされるが、静謐な立ち姿の内から溢れ出してくるエネルギーの大きさに呑み込まれてしまうような錯覚を覚える。背後に広がる闇の番人のような圧倒的な存在感だ。
前面に張り巡らされた金網に視界が遮られるのが邪魔といえば邪魔だが、金網の向こうの暗闇に像を閉じ込めてしまうことで、かえって力に包まれた像の神秘性が増幅されて感じられるような気もする。いつまで見ていても飽きることがない。
写真で見る金剛力士像は、頭が大きく不恰好な印象すらあるが、実物を見上げるとそんなバランスの悪さは微塵も感じない。参拝する者の目線も計算した上での均衡とも言われている。
ギリシア・ローマ彫刻よりは遥か後の時代とはいえ、ルネサンスよりはかなり早い時代の作だ。
運慶のプロデュースにより69日間で完成させたとのこと。職人たちの技術力の高さも相当のものだが、それほど高度な技術が秩序だって組織されたということは驚異的だ。中世日本の彫刻のレベルの高さには心底舌を巻く。
運慶のイメージする「力」が、ここには余すことなく表現されている。


仏像を眺めていると、飛鳥・白鳳と天平では明らかに一線を画しているのに気づく。
飛鳥・白鳳の仏像の多くがエキゾティックで没個性的なのに比べ、天平になると仏像の表情に個性と和の色合いが感じられ始める。感情表現が豊かで深く、全身像には自然なやわらかさが漂う。心静かにみつめていると、じんわりと心がほぐされ、ほどけていくのを感じる。


観光客で賑わう大仏殿の喧騒とは対照的に、東大寺の西のはずれにひっそりと佇む戒壇堂。
堂の中は閑かな緊張感のある空気に包まれている。自然と身も心も引き締まってくるような気持ちになってくるのも悪くない。
ほの暗い閑けさのなか、建物の四隅を守るように立つ四天王像が、意外に小ぶりで繊細な造形であることに驚く。鎌倉仏の筋骨隆々とした姿と比べると、その肢体は実にしなやかに映る。
しかし、金剛力士像の外に向かう力とはまた違った力、内に蓄えられどんどん膨れ上がっていくような力が、四天王像にはある。
とりわけ広目天多聞天の、守護の重圧に耐えるような内省的な表情がいい。
そういえば、小学生の頃、多聞天の写真を見て「琴櫻(先代の佐渡ヶ嶽親方、故人)だ」と思ったことがある。実物を見てあらためて琴櫻が連想されたが、その体躯ははるかにスマートであった。


仏像鑑賞の趣味などなかったが、大和路の仏像には、ただその造形の美しさに魅せられるにとどまらず、そこに込められた精神の気高さに心が揺さぶられるのを感じる。これが仏像鑑賞の魅力なのだろう。
感想こそ書かなかったが、三月堂、興福寺国宝館、薬師寺などでも、仏像の前でのひとときは、心やすらぐかけがえのない時間に感じた。
法隆寺で仏像を見る時間が無かったことと新薬師寺に立ち寄れなかったことが、なんとも残念でならない。


若草山から見渡した奈良の町は、曇天にもかかわらず、とても清清しく、その夜の奈良町での夕食は、法隆寺の伽藍を思わす端正な味で、これまた結構でした。(久しぶりの書き物で、疲れてしまいました。以下は次の機会に(いつのことやら……笑)。)


追記
6月から新しい職場で働いておりますが、ニート生活のつけで、未だに仕事の勘が完全に戻らず、そのうえ職場にまだ馴染んでいないこともあって、右往左往の毎日です。
それでも、ようやく楽しく働くことができそうな予感を感じています。
5月の終わりは、なんだか夏休みが終わってしまう時のような気持ちになりました。あのなんとも嫌な感じ……。就職が決まってみると、休みって本当にいいものだとしみじみ思いました。
働いていない間はなんだか気持ちが落ち着かず、毎日ひどい腰痛にも悩まされていました。時間はたっぷりあったのに、とんとブログにも向かおうという気も起こらないまま、ものの見事に更新は皆無ということに……。
ボツボツと5月のできごとを思い出しながら書いていこうと思っています(遅っ! 笑)。