奈良へ行ってきた(下)


天理駅から出発し、郵便局のあたりで早くも腰にこわばる感じが出てきた(どのくらいの距離か興味のある方はGoogleなどで調べてください。笑えるくらいの距離です)。山の辺の道を辿るつもりで出発したものの、まだそのスタート地点にも立っていない……。


不安の中での出発だったが、途中何度も立ち止まってストレッチを繰り返しながら、へろへろになりつつ、なんとか終点の桜井駅まで辿りつくことができた。
歩いたからといって、別に威張れるほどの道のりでは全くないが(おそらく年配の方でも歩ける距離です)、腰痛というハンデをかかえながら本当によくやったと桜井駅に着いてしみじみ思った。そして、こうして書き連ねながら、もう一度自分を褒めている。
なにが山の辺だ、山中じゃねぇか、と思わず突っ込みたくなる場面もあったものの、歩きとおしてみれば、腰痛との二人旅はだんだんと美しく楽しい思い出のような気もしてきた……。
と、突然、右腰に衝撃が走った。
歩道と車道との段差を踏み外し、右踵から強く車道に着地してしまったようだ。
けれども、なんということか、その直後から、右腰にあった痛みが嘘のように消えていた。おそらく右脚の踵から頭側へと右脚の長軸方向にかかる力が、右股関節、右仙腸関節、それらの周囲の筋肉に、偶然、極めて巧みに作用して右腰の痛みを取り除いたに違いない。
そう、次の瞬間、私は歩道から踏み切って車道に左踵から着地していた。
着地した瞬間、左膝の裏に痛みが走った。おまけに左腰の痛みは変わらない……。
物事はポジティブに考えるべきである。
「右腰の痛みがたまたま消えて本当によかった。右膝が痛くならなくて本当によかった。」
そう考えることにした。
1時間後、再び右腰には痛みが戻ってきて、左膝の痛みはその後さらに2日間続いた。


奈良の田舎の風景は、私の生まれた香川県の田舎の風景に似たところがある。
田圃の海の中に小高い丘や小山がぽっかり島のように浮かぶ。
奈良ではその多くが古墳であるが、香川ではその多くが山や丘だ(古墳もあるが)。
古墳であろうとただの山であろうと、その風景の見え方にそれほどの違いもない。古墳は古墳と思ったとき古墳に見える。
山の辺の道を歩いたとき、飛鳥路を自転車で走ったとき、なんだかとても懐かしい風景の中にいるような錯覚を覚えた。
それとともに、懐かしさだけではない、ある思いが浮かんだ。
「古代の人も、この風景を眺めていた。」
いや、古代の人には限らない。むしろ古代から中世、近世、近代、そして現代へと続く連綿とした時の流れの中で、数限りない多くの人々がこの風景を眺めていた。そして、その風景を今この時、私が眺めている……。
時とともに風景も移り変わる。今の景色は、古代の景色とは大きくかけ離れたものかも知れない。ただ、自然の織り成すその地形や眺めにはそれほど変わらないものもあるだろう。
かつて柿本人麻呂が、小林秀雄が、ここに立ってこんなことを感じた。そして、今、その風景の中に私が立ってこんなことを思っている。


「わたしはここにいる。」


わたしの感受性など、彼らのような巨人に比べれば、ほんとに、ほんとにちっぽけなものに違いないが、たおやかに流れていく風景の歴史の中にいる自分を感じていた。
山の辺の道、飛鳥路、そして明日香で幸運にも偶然眼にすることができたキトラ古墳の十二支の絵の前でも、風景や事象に対して湧きあがってくる感想よりも先に、たとえそれが倣岸不遜な感情であろうと、自分の存在を確かに感じたのである。


歴史や伝統に触れるということは、そのようなことではないかと思った。