『アヒルと鴨のコインロッカー』(伊坂幸太郎)〜意識が翻弄される面白さ〜


自分がいま生活している世界は、自分の五感で感じ取った情報を元に、自分の意識の中で再構成され、認識された世界である。それは、自分と同時に同じ事実を経験したひとに認識されている世界と、殆どの場合、それほど違うものではない。
しかし、感じ取ったり、認識したりする個体が別個のものである以上、同じ世界を全く異なった世界として認識している可能性もある。ましてや、誤った情報を元に認識された世界は、滑稽なほど真実の世界を見誤らせてしまう……。


アヒルと鴨のコインロッカー』では、訪問販売で危うく数十万円の学習教材を買わされそうになった過去を持ち、隣人のペースにずるずると引き込まれた挙句に本屋を襲撃する羽目に陥る僕 ― 椎名を主人公とする現在の物語と、ペット殺しの犯人につけ狙われるわたし − 琴美を主人公とする2年前の物語が同時進行で語られていく。
この構成から、2年前の物語が現在の本屋襲撃に繋がっていくのだろうと想像するのは難しくない。
畢竟、2年前の琴美の事件を鍵に現在の椎名の事件を読み解こうとする読者は、事情を十分飲み込めないまま本屋襲撃の共犯者となって悩む椎名より、物語の構成上、優位な立場に置かれることになる。


この物語には、大仰なトリックなど何も出てこない。登場人物は、誰もが個性的でキャラがくっきりと立っており、個性的な面々の間で繰り広げられる生き生きとしたやりとりには、ぐいぐいと読者を引き込む力がある。そのせいか、物語のミステリー性は、影を潜めており、読者には意識されにくい。
伊坂幸太郎は、冒頭に書いたことを十二分に意識した上で、この物語を周到に創っている。
「シャローンの猫の話」や本屋襲撃の主犯である河崎が路上で自転車をけり倒していくエピソードなど、「自分にとっての真実とは、実は極めて個人的な認識の上に成り立ったものに過ぎない」という事実は、作者の手によって、物語の本流とは関係のないそこかしこにさりげなく、注意深く散りばめられている。
やがて、読者は、2部構成で語られるストーリーそのものの面白さや登場人物のやりとりの妙味に次第に魅せられ、夢中になってしまうだろう。伊坂は、そんなミステリーに対して無防備になった読者の意識を巧みにミスリードしていく。


2年前の事件は琴美、現在の事件は椎名、それぞれの感性と認識を通じて語られる2つの物語から、果たして読者は真実の世界の姿を描くことができるのか。
この魅力的な物語をミステリーとして捉え、謎を解こうと丹念に読んでいくのもひとつの読み方とは思うが、ここは作者の仕掛けに乗っかって、素直にのめりこんで読むのが正解だと思う。
そして、自分の中で勝手に思い描いていた世界が、ひっくり返される瞬間の爽快感をぜひ味わって欲しい。