一からの出直し


自分の経験を、統計的にも、論理的にも、それなりに整理していく習慣がつけば、なるほど経験とは役に立つものである。経験に照らし合わすだけで大きく道を踏みはずす危険もないし、殆どのことはそれで事足りるようになる。
他方、経験が乏しい頃には当たり前であった、未経験のことがらについて一所懸命に考えることは、どんどん億劫になってくる。それが、些細なことであればあるほど、真実を追究することなく眼をつぶるようになる。
数多く経験したことなら、それに照らし合わせて瞬時のうちに判断できることも多い。
しかし、眼にすることがあまりにも自明のことのように思えるが故に、それについての論理的説明ができなくなったり、あるいは、説明できても、わざわざそんな手間をかけることが面倒くさくなったりすることさえ起こってくる。


ここ数年、自分が、そういった落とし穴へ堕ちてしまっていると感じるようになった。
かけだしの頃、何かというと経験を持ち出す先輩に感じていた憤りは、論理性に欠けた傲慢さだけに向けたものではなかった。なにごとも経験だけに照らし合わせて解決しようとする、その浅薄さに腹が立ったからではなかったか。
今の私から、うずたかく積まれた経験の厚さを取り除くと何が残るだろう。薄っぺらな知識の上に胡坐をかいている姿は、どんなに浅はかな姿に映るだろう。
就いている仕事から距離を置き、もう一度、新たな気持ちで未知の分野に踏み出したいと考えている自分がいた。しかし、新たなことに取り組むエネルギーが沸いてこないまま、日々の雑事に追われ、イライラしながらモチベーションをなくしてしまっている自分もいた。


職場が変わって、自分の勉強のために使える時間は随分増えた。
けれども、悲しいかな、頭がなかなかついていかない。確かに記憶したはずなのに、思い出せない。思い出せないだけなら、まだましな方で、記憶から完全にこぼれ落ちて、読んだことすら覚えていないこともある。そして、勉強を始めるとすぐ眠くなる……。
そんなこんなで学習の成果はお恥ずかしい限りだが、いまの環境にはそれなりに満足している。


新たな環境に身をおいて気づいたのは、生身の自分が、いかに得体の知れない胡散臭い存在かということだ。他の医師、看護師、その他のパラメディカル、事務方、そして病院を訪れる方々……。毎日、様子を探るような視線を痛いほど投げかけてくる。
これまで、経験だけでさまざまな局面を乗り切ることができていたのも、けっしてそれが何者にも代えがたい価値を持っていたからではなく、私という存在が、スタッフにも、患者さんにも、それなりに信頼されていたからだろうとあらためて実感している。
今までは無条件で始められていた仕事が、開始するに十分な信用を獲得するまでにひどく時間と労力を費やし、なかなか円滑に進んでくれない。


前の職場を辞める際、看護師さんたちに開いていただいた送別会で涙が止まらなくなった。
お互いこころを通い合わせながら仕事をしてきた仲間たちを置き去りにして、辞めてしまうことの申し訳なさや、皆と別れる寂しさはもちろんあったが、皆に支えられることで、自分の力以上のものを仕事で発揮できることは、これから先もう二度とないだろうという諦めにも似た感情のせいもあった。


信頼という衣を剥ぎ取られた私は、まるで裸の王様だ。
でも、いつまでも裸で震えているわけにもいかない。
仕事を休んでやっと見えてきた。
医師でない自分という存在の希薄さが。
頭は相変わらず冴えないし、環境には戸惑ってばかりだが、だんだん元気と勇気が湧いてきた。