ブログを書くのが嫌になるとき


結局、コラムのようなものを相も変わらずだらだらと書き続けているわけですが、どっちでもいいようなことしか書いていないなぁ、なんて今更ながら思ってます。一番問題なのは、論理的に話を展開しているようにみえて、論拠として客観的に正確な事実を集めているわけではないので、結論に説得力がないところです。論説文としては致命的です(笑)。
やっぱり、ものぐさなのと自分なりの確固たる結論を追求するという真摯な姿勢が欠けているのがいけないんだと思います。webなどから丹念に事実を拾い集め、多角的に幾つも問題を提起した上で、しっかりと論を展開すべきだということは、よく分かってるんです。でも、情報を収集するのは面倒だし、問題を立てる力も不足しているんでしょうね。
じゃぁ、お前のエントリはいったいなんなんだと問われると、強いて答えれば、感想文でしょうか。自称、論理的な展開をもつ感想文。要するに自分の折々の感情や感想を論理的に分析した文章ではないかと思っているわけです。
こんな無責任極まりない書き手ですが、時々、書きあげたエントリにうんざりして、もうブログを書くのをやめようかと思うときがあります。前の『世界フィギュア 2009』なんかもその一つですが、プロフェッショナルについてえらそうに上から目線で解説しているエントリなんぞは、削除してしまいたい衝動によく駆られます。
たぶん、私は自己顕示欲が強いうえに自分の眼力に自惚れているのだと思いますが、批評家的な距離を置いた態度や自己顕示がけっして悪いとは思っていません。ただ、その道のプロフェッショナルに対して「あなたはここが悪い」「ちょっとこうした方がいいんじゃないか」という偉そうな態度が文章から透けて見えるところが嫌なのです。同じように見えるものでも、自分の感情や心の動きが丁寧に追われたものは、むしろ大好きで、これからも、できるだけそういうエントリを書いていきたいと思っています。
なんか愚痴っぽくなってしまいました。『プロカウンセラーの聞く技術』という本によれば、溜まってきた感情をそのまま放っておくと、それは大きなストレスとなり自分の体や人間関係を壊すもとになるので、「愚痴をこぼす」ことは大いに意味がある行為だそうです。してみると、こうやってブログに書くことで、溜まった感情をwebの向こう側の人に聞いてもらうのも自分にとっては意味があることなんでしょうかね。くれぐれもwebに撒き散らされた愚痴の毒にやられないようにお祈り申し上げます。