山下達郎 PERFORMANCE 2008-2009


大学の夏休みに、友人と沖縄へ行ったことがある。今から26年余り前の話だ。
自由にできる資金も乏しく、行きも帰りも船を使った。夜のうちに大阪南港を出航し、翌日は丸々1日海の上、次の朝になっても船はまだ洋上をのんびりと走っている。金は使わないが、とんでもなく時間を浪費してしまう、そんな旅だった。
勘違いかもしれないが、それでも当時、学生の沖縄旅行と言えば船が主流だったと思う。
洋上では有り余るほどの時間はあるが、携帯電話もパソコンもゲームない。そんな時代に暇を持て余した若者のすることといえば、音楽を聴くことくらいだった。当時、カセットテープを聴くタイプのウォークマンも既にあったようだが、重いことなどなんのその、ラジカセを持ち込んで聴いていた若者も多かった。
船上には様々な音楽が入り乱れていたが、なかでも圧倒的に人気があったのが大滝詠一山下達郎だった。奇しくも二人はシュガーベイブという同じバンドの出身 (大滝はプロデューサーとして参加)。シュガーベイブはそれほどポピュラーなバンドではなかったし、お互いシンパシーを感じていたにせよ、二人の音楽が似ているというわけでもないので、これは奇妙な偶然というしかない。
東シナ海に射す夏の光に達郎の『SPARKLE』がよく似合っていた……。


思い出話から始めてしまったが、私にとっての山下達郎の音楽とは、それを聴くと当時の記憶が走馬灯のように駆け巡る……といった類の懐かしのメロディーではない。時は流れても、変わらず私の生活とともに息づいている「今」の歌である。
6年ぶりに山下達郎がコンサートツアーを行っている。6年前、広島郵便貯金会館の立見席で聴いて以来、この日が来るのをどれほど待ち望んでいたことか。これはいかねばなるまい。


というわけで、妻に買ってもらった達郎のツアーTシャツとパーカーを着込んで(馬鹿なオヤジだね)いそいそとコンサートに行ってきた。
開演前なのでステージの照明は落ちているが、昔懐かしいジャケ写を模したセットが見える。もうすっかり気分は達郎ワールドに。
客席を見ると、なんとなくしっくり馴染んでいないカジュアルなオヤジやオバチャンがぞろぞろとうろついていたりするかと思うと、カシミアのコートに身を包んだメッチャ渋い初老の紳士がいたりして、会場の平均年齢はさすがに高い。
それでも、皆、20代の頃のあの夏の光に照らされたような、いい笑顔で微笑みながら開演を待っている。
私より10才以上は若いと思われる隣席の女性が連れの女友達と話しているのが聞こえてくる。
「なんせ伝説の人だからね。達郎のコンサートに行くって会社で話したら、『ちゃんと生きて動いていたかどうか、しっかり確かめてきて』って○○さんに言われた。」って達郎はシーラカンスか!


なんとかいい音、いいリズムを届けたいという山下達郎の熱がMCから伝わってくる。それだけに彼自身の歌声も含めたバンドの音とリズムは圧倒的な力で迫ってくる。
リズムセクションがどうだとかいう音楽的な話より何より、とにかくその歌声である。第一声が流れた瞬間、「これだよ」という身震いするような感覚が体の芯から込み上げてくる。
これは、生で聴いた時初めて歌に込められた想いが伝わってくるとかいう精神論的なものではない。ライブで聴く山下達郎の声はCDで聴く声よりも遥かに豊かに感じる。
ファルセットはどこまでも舞い上がるように上り、独特の「ウォーゥーオゥー」といった波がうねるかのような節回しやフェイクも十分にパワフルだ(こう言ってしまえば、自分の生の音をどうCDで表現するかという命題と格闘している達郎に気の毒だが)。
とにかく歌声が力強くシャウトする。ライブでなければ味わえない山下達郎の真骨頂である。


もっともっとコンサートの細部にわたって語りつくしたいところだが、ネタばれになるので、残念ながら触れることはできない。
いろいろな事情が6年間の空白を生んだようだが、久々に観る山下達郎はライブで音楽ができる喜び、ステージに立つ喜びをかみしめているように見えた。そして、今まで以上に自分のライブに足を運んでくれる聴衆への感謝の気持ちに溢れているようにも見えた。
素晴らしいバンドもできたことだし、そして何より、あの声のツヤとハリ……。
まだ御歳56歳。
まだまだやれますよ、達郎さん。