銀座眼科での近視手術事故に思う


私は、専門医としての資格を持っていない。
私が持っているのは、医師免許証、日本医師会認定産業医だけで(ケアマネージャーも持ってはいるが、もともと介護事業や介護保険の仕組みを理解するために取得したもので、現在も今後も、その資格で活動するつもりはないため県へ返納する予定にしている)、それがないと特定の医療や介護に関する行為が行えないという類の資格だけである。
どうしてこんなことを書くのかといえば、先日、銀座眼科で行われたレーシック手術(レーザーを使い近視を矯正する手術)での事故の報道の際、さかんに「眼科専門医でない」ということが指摘されていたのがちょっと気になったからだ。
自分が専門医でないということを気にしているのではない。気になったのは、専門医であることがいかにも良質な医療の提供を保障しているかのように報道されていたからである。


それぞれの専門分野によって多少異なるところはあるが、概ねのところ、専門医は各学会が認定した資格基準を満たせば取得することができ、そして、学会や研修会に出席して必要単位を取得すれば維持することができる。専門医の資格基準には、学会の認定した専門性のある施設で必要な研修を受けたり、専門的知識を問う試験に合格したりすることが含まれるため、専門医は、ある一定の水準以上の知識レベルがあると学会が評価しなければ取得することができない(技術レベルの評価に関しては微妙)。
専門医でない私が言うのも我田引水のようで嫌なのだが、専門医という資格は必ずしも医療の質を保証しているものではない。前述のように、実際に提供された医療を評価して与えられるものではないからだ。


先日、こんな事例があった。
ある大学病院の神経内科パーキンソン病として通院している方なのだが、左手の痺れが治らないという。大学病院の神経内科でも、近所の整形外科(専門医を標榜)でも、MRIなどの検査も行い診てもらいはしたが、原因はよく分からず、「ビタミン剤を飲んで様子をみましょう。」ということになったらしい。
診察の結果、左のギヨン管(手首にある神経の通路のようなもので、周囲の組織で神経が圧迫されやすい)で尺骨神経が圧迫されているためと診断した。診断はそれほど困難なものではない。診断結果を伝えると「初めて言われました。」と驚きを隠せない様子。「そんなことはないでしょう。」と言うと、「いえ、最初は『肩が凝っているから』とか『歳のせいでしょう。』と言われ、それでも調べてくださるようにお願いすると、頭と頸のMRIを撮ってくださいました。で、その結果……。ご近所の整形外科でも全く同じでした。」
どの病院もご夫妻で受診されており、お二人とも認知症もなくしっかりされておられたので、他院での診断結果がよく理解できなかったというのでもなさそうである(よしんば、正しく診断されていたとしても、それが本人たちに正しく伝わっていないことには変わりない)。
何も私が特殊な技術や検査を用いたのではない。丁寧にお話を伺い、基本に忠実に診察していけば診断に辿り着くのはけっして困難なことではない。但し、それを行えば、診察時間はそれなりにかかる(MRIなどの画像診断はさらに時間も費用も要するが、それは診察室で費やされる時間ではない)。
これだけの診断技術がないというのならお話にもならない(そんな事例もない訳ではない)が、おそらく優れた診療技術を持ちながらも、前の先生方は手間隙を惜しんだのだろうと思われる。眼の前にいる人の思いに応えないで何の医療か……お寒い医療の現状に直面することは日常の臨床で珍しいことではない。


何も私は専門医を否定しているわけではない。専門医は、少なくともその道を極めたいという明確な意思を持つものに与えられているだろうし、一定の水準以上の知識を持っていることについて学会から評価を受けている分、専門分野の診療に関して言えば、非専門医より優れた人材は圧倒的に多い。
しかしながら、前述したように、現実に行われている診療は必ずしも優れたものばかりとはいえない。
これは、資質や能力、医療に対する姿勢にだけその原因があるのではなく、プライマリケアで十分診療が可能な疾患までもが専門医のところに押し寄せることで余裕のある診療ができなくなっていることにも起因している。プライマリケアを担当する非専門医の診療に対する信頼が低いことも一因だが、非専門医の怠慢によるところもあるだろう。


個々の医師が提供している医療の質を評価する基準を定め、定期的に試験をおこなったり、抜き打ちの調査を行ったりすることは、健全な方向であるとは思う。しかしながら、医療のあらゆる面に客観的評価基準を定めること(手術成績ひとつとっても、かなり評価が難しい面を抱えている)、実際の臨床に即した試験の実施(現在行われている国家試験や専門医試験でさえ満足できるものではない)、誰がそれを評価するかなど数多くの困難が存在する。
ただ、医療のレベルを安易に未完成な基準だけで判断することは、厳に慎むべきではないだろうか。


医療に限らず、仕事を依頼する際には、できるだけ人として信頼できる人間に依頼するのが一番安心できる。
この原則に従えば、人間的に信頼できる医師を身近に一人でもいいから見つけることが大切だと思う。極端なことを言えば、実力うんぬんは関係ない。人として信頼できる人間ならば、いつどんな時でも真摯に向き合ってくれるだろうし、己の限界にも正直である。要求されたことが自分の手に余れば、一所懸命調べてくれたり、最適と考えられる専門医を紹介してくれたりするだろう。もちろん、その医師が十分なプライマリケアができるのであればそれに越したことはない。
極めて当たり前の結論ではあるが、これが最もお勧めできる医療との付き合い方なのだと考える。