雪の日に思いつくまま書いてみた


年末年始はやけに冷え込んだが、その後は暖かくなったり寒くなったりの繰り返し。やっぱり暖冬なんだろうかと思いつつ、地球温暖化のことなどもおぼろげに心配になってもくるが、かといって真剣に考え込んだりすることもなく過ごしていると、ここのところの厳しい冷え込みだ。
なんで積もらないんだろうというくらい昨日の日中は寒かったが、案の定、朝になると雪が積もっている。
朝まだ暗いうちに、買ったばかりのゴム製のチェーンを初めて巻いてみた。力いっぱい引っ張ってはみたものの、どうしても接続の金具が届かず、悪戦苦闘のあげくに断念。何度も確かめたのでサイズは合っているはず。
「初めて巻くときはチェーンが硬いので、あらかじめ巻いてみておいたほうがいいですよ。」という親切な店員さんの言葉を思い出したが、もう遅い。これまで何度も巻いた経験はあったので、正直、「チェーンなんて」と舐めていた。やっぱり、ひとの忠告は素直に聞くべきだ。
とほほな気分で「巻けなかったよ。」と家の中に入ると、「買ったとき、必ずお店の駐車場ですぐ巻いてみなければだめよ。」という妻の言葉にとどめを刺される。全くもってその通りで何も言い返せず、力なく「そうだね。」と返事をする。電車にも遅れそうになり、ゴミ袋を2つ抱えて慌てて家を出た。


そういえば、けっして舐めていた訳でもないのだろうが、先日の大阪国際女子マラソン福士加代子が19位と惨敗した。去年の夏、長居で5千、1万メートルを走ったから、たった5ヶ月での初マラソン。ありきたりの感想だが、こんな短期間の準備で北京への代表がとれるほど未経験種目への転身は容易なものではないということなんだろう。
それにしても、日本人1位となった森本友のメディアでの扱いは酷い。25分台の平凡な記録とはいえ、現時点での女子マラソン日本代表を考えてみると、暫定とはいえ森本は3番手に位置している。惨敗した福士一色の報道は、森本へのリスペクトを著しく欠いている。


駅から職場までの道中で、じんわりと水がスニーカーにしみこんでくるのを感じた。防水スプレーをかけたのはいつだっただろう。つめたく濡れた趾先の感覚が次第になくなってくる。雪で泥濘んだ道を歩くのは本当に嫌なものだ。
「スノトレはどこにしまってあったっけ……。」ふと、思った。
スキーに行かなくなってもう随分経つ。というより、ここしばらくスキーを思い出すことすらなくなっていた。
しもやけの手にもかかわらず雪合戦が楽しくて仕方のない娘を羨ましく思う。
できることならば、雪とともに暮らしたくなどない。静かに雪が降るのを家の中からずっと眺めていたい。


5年前の今日も雪の降る寒い日だった。父の通夜が行われた日だ。


昨日の午前4時頃、たまたま眼が覚めた。父が逝った時刻に近いが、それはただの偶然だろう。このあたりの時刻に眼が覚めることはよくあることだ。
とはいえ、目覚めてすぐに父のことが頭に浮かんだ。
父が一番気がかりだったのは、おそらく母のことだったと思う。父が願ったように母は暮らせているだろうか。今の母の暮らしを思うと、どんよりとしたやりきれなさが込み上げてきた。
父と同じように母を支えることは、私にはできない。それは兄も姉も同じだろう。
夫婦という関係を成立させている、父と母という夫婦に固有の一体感のようなもの。絆といえば二人の繋がりだが、そうではなくて、二人が揃って初めて成立する一つのもの(ちょうど、“better half”という言葉がそれに近いものかも知れない)。そこにぽっかり空いた隙間は親子ではけっして埋めることができないものだと思う。
父を失ったとき、母はきっと自分の一部が欠けてしまったような欠落感を感じていたのではないだろうか。母が埋めて欲しいと願っているものは、私たち兄弟ではどうしても満たすことができない。
それでも母はそれを埋めて欲しいのだろう。母と電話で話していると、次第に落ち着きを失って苛立って来る心を抑え切れなくなってしまうことがよくある。
歳を重ねるにつれて失くしていくものは多い。夫を失い、健康を失い、人やいろいろなものとの繋がりを失っていく。
降り積もる雪のように、母の心に積もっていく喪失感。
傍で暮らせない私にはどうすることもできない。かといって、私には自分の暮らしのなかでどうしても守りたいものがあるし、それは母といえども触れて欲しくないかけがえのないものである。それでも、母が今の暮らしを棄て、家族とともに暮らし始めたならば、一人暮らしを続けている今以上に、母が失っていくものは増えていくような気がする。
私には見えない父に向かって謝るしかなかった。