『クワイエットルームにようこそ (監督 松尾スズキ)』 〜繋がることができない人のかなしみ


「こころの病」とみなされている人たちがいる。
もちろん、薬物療法をはじめとした医学的管理を絶対的に必要としている人たちもいる。けれども、世間になんとか折り合いをつけて生きている人たちとそれほどかけ離れたところがない人たちもたくさんいる。逆に言えば、今この時、世間に折り合いをつけて生きている人も、明日は「こころの病」を抱える羽目になるのかもしれない。
現実を自分なりにせいいっぱい生きているだけなのに、いつのまにか “かわいい奴” “一生懸命な奴” という評価が “うっとーしい奴” に変わっているのに気づく。自分にしてみると、まるでメビウスの輪の中を彷徨っているような感覚だろう。
映画『クワイエットルームにようこそ』は、そんな現実を懸命に生きていこうとする女性 (内田有紀) が主人公である。


まだ上映をやっているところがあるのだろうか。やっていたとしても、封切られてから随分経つので、そろそろ上映終了になる頃だろう。何の役にも立たないレビューを今頃書いている(笑)。
もう1回観たいと思った映画は、『千と千尋の神隠し』以来か……。『クワイエットルームにようこそ』は、間違いなく大傑作だと思う。


現実のさまざまな局面で、次にどのような行動をとったらいいのか、人は選択を迫られている。自分の生きてきた道程を振り返って似たような経験に照らし合わせたり、獲得してきた知識に頼ったり、他の人に相談したり、その場の感情に流されたりしながら、人は今この時を乗り切っている。


やっとの思いで決断した選択が周りの人たちに受け入れられなくなった時、自分の感情を爆発させるか、逆に自らの殻の中に閉じこもってしまう人たちがいる。そんな人たちの周りからの評価は、 “うっとーしい奴” だ。
受け入れられない “うっとーしい奴” は、孤独で寂しい。だから、他人と繋がろうとする。ところが、周りにとってみれば、 “うっとーしい奴” と関わると、イライラするし、面倒だ。
繋がりたいのに繋がれない……。かくして “うっとーしい奴” は自らの想いとは裏腹に、周りから区別され、敬遠されていく。
それでも、自分のこころを今この時に留められる人はいい。押しつぶされそうになった自分の大切なこころを守ることで、好むと好まざるとに関わらず、現実から引き剥がされ妄想の世界の中に身を委ねることになる人たちもいる。


精神病院の閉鎖病棟の中にあるクワイエットルームはそんなに人たちが現実に還って来る部屋だ。
そこは、何かに繋がろうとしてもけっして繋がることはできない、あらゆるものから隔離された場所だ。窓も、調度品も一切ない、白一色のクワイエットルームの中にある狭いベッドに拘束されたとき、人は妄想の世界からようやく今この時に還ることができるのである。
クワイエットルームとは、他人と繋がりたいのに繋がれない、哀しい人たちの現実そのものを象徴したような場所である。


クワイエットルームで現実に還った主人公 (内田有紀) は、部屋から開放された後、女子閉鎖病棟の中でこころを病んだ人々と暮らすことになる。そこは、外の世界で周りから “区別された”人たちが暮らす場所だ。
外の世界で経験された疎外感などの感情を共有することによって、そこにはちょっとしたこころのふれあいとコミュニケーションが生まれているようにもみえる。
けれども、「自分は他の人とは違う……。自分はまともだ。」と信じ込んでいる限り、それはみせかけのコミュニケーションに過ぎない。


閉鎖病棟の人たちをエネルギッシュに描くことで、暗くて重たいテーマをうまく救っている。彼女たちの姿に未来への希望を予感させるからだろう。
医学的に言えば、彼女らのエネルギーは他者との軋轢を生むかもしれないが、その外へ向かう力こそが、彼女らをして困難な現実に立ち向かわすことのできるエネルギーへと変わり得るからだ。逆に言うならば、そのような外へ向かうエネルギーがなければ、彼女らにとって困難な現実を乗り切ることは難しくなる。
遊び心に溢れた会話 (流動食を説明するナースのせりふは秀逸です) や、ところどころに顔を出すちょっとおふざけの演出もあざと過ぎず、重たいテーマとよいバランスを保って効果的だ。明るくしなやかな内田有紀が “うっとーしい” 主人公を演じているところや、脇を固める役者さんたち (特に主人公の同棲相手てっちゃんを演じた宮藤官九郎とナース山岸を演じた平岩紙、イケてます) の醸し出す空気も同じく、映画を重たくすることから救っている。


悪意の塊のような過食症の女 (大竹しのぶ 快演です) の行為と言葉によって、主人公は閉鎖病棟でも再び怒りと否定の感情を爆発させ、もう1度クワイエットルームに舞い戻る。
結局、他者と繋がることが困難である自分、そんな鬱陶しく哀しい存在である自分を、クワイエットルームのベッドの上に2度横たわることで、ようやく彼女は受け入れることができたのだろう。


主人公が、精神病院を退院し、新たに現実の世界を生きなおすことを予感させるようなラストシーンは爽やかで、バックに流れる主題歌も、程よい力の抜け具合が心地よい。