医療者の勘違い〜自己管理とは?(後編)


私が糖尿病を診療するようになって、既に20年以上になりますが、最初の10年余りは、患者さんの血糖コントロールが思うようにいかず、いろいろ悩んだものでした。
当初は、食事に関しての分析や指導を栄養士さんに頼り切っていたことが原因ではないかと思い込み、随分と負い目も感じていました。
糖尿病の食事療法を行うにあたっては、患者さんの体格や運動量に応じたカロリー制限を行うこととバランスよく栄養素を摂取すること*1という2点が重要です。
そこで、「食品交換表」という本を元に、どの食品がどの食品群に属するかとか、80kcalに相当するそれぞれの食品の量*2を、それこそ必死になって暗記してみました。
おかげで、患者さんが申告する範囲での摂食状況や食事に関する問題点はかなり正確に把握できるようになりました。ところが、そうすることで自分自身の劣等感を解消することは出来ましたが、患者さんの食事摂取状況そのものを改善することは、やはり出来ませんでした。
患者さんに「食品交換表」の使い方をしつこく指導した時期もありましたが、とにかくこの本はカロリーが淡々と羅列されている無味乾燥な本で、ひとのやる気を奪いとる代物でした。せっかくやる気満々で始められても、ここで投げ出される方も数多く見受けられました。
「これではいけない。こんな非人間的な指導方法では誰もついて来ない。」そう感じた私は、1日の摂取カロリーに応じたレシピを作る方法を思いつきました。
同じようなことを考える方はいらっしゃるもので、調べてみると、糖尿病食事療法のためのレシピ本が既にいくつか出回っておりました。早速、私はそれを患者さんに勧めることにしました。
「これは便利ですね。」
食品交換表を投げ出した患者さんたちのレシピ本への食いつきはよかったと思います。けれども、それが続けられるのは、やはり限られた人たちだけでした……。


次第に、私は糖尿病の診療が嫌になってきていました。
「手術で悪いところを切り取ったり、カテーテルで血管を広げたりして良くなる病気はいいよなぁ……。糖尿病なんか、どんなにこっちが頑張って指導しても、患者さんがそれを実行しなければどうしようもないもんなぁ……。」
医師が積極的に介入することで治療の成果が上がる急性疾患を羨ましく思いつつ、診療が軌道に乗らない原因が、一方的に患者さんの側にだけあると思い込んでいたのです。


ある日、私が受け持っていた患者さんにストレートに言われました。
「先生の仰りたいことなんか、とっくに分かっています。私が食べ過ぎていること、1日1600kcalの食事を摂って間食を我慢すればいいこと、運動をすればよいこと……、全部よく分かっています……。」
だいたいそんなことを言われたように記憶しています。
言われてみれば、その通りでした。生活習慣の管理目標を繰り返すだけでは、指導の意味はありません。管理の目標に向かって患者さんの行動を変えていかなければ、真の指導とは言えません。
でも、私には他に指導できるものが何もありませんでした。診療がうまくいかない原因は、私の貧しい指導内容にあったことにそこで初めて気がついたのです。


日々の行動を変えていくために、まず、日常生活習慣の中で何か変えられそうなものがあるかということを患者さんに尋ねてみることにしてみました。
しかし実際、そのように質問されても、どう答えたらよいものか戸惑われる方が多いようでした。そこで、患者さん自身に自分の日常生活を振り返っていただくことから診療を始めることにしました。食事の内容を尋ねたことはあっても、生活全体を詳細に尋ねたことはそれまでなかったように思います。
面白いもので、いろいろと詳しく伺っていると、生活の中で比較的楽に変えられそうな部分、頑張れば変えられそうな部分、どうしても変えることが出来ない部分というものが次第に見えてきたのです。
情報を元に、「ここをこうしたらどうだろう」とか、「この習慣をやめてみたらどうだろう」といったように私はいろいろと提案をするようになりました。診療が次第に面白く感じられ始め、患者さんの話を伺うのが楽しくなってきました。


ところが、確かにそうすることで血糖コントロールが良くなる方は大勢おられましたが、そういった患者さんでも、しばらくすると再び血糖コントロールが乱れてきたり、治療から脱落していく人がでてきたりするようになったのです。
その頃の私は、患者さんの生活に応じて細かくプランを考えた自分の指導には少なからず自信を持てるようになっていました。私の意図するように生活習慣を変えていってくれない患者さんを恨めしく思うようになり、失望のなかで糖尿病の診療を再び投げ出そうとしている自分を感じ始めていました。


少し話が変わります。
もともと医療というものは、具合が悪くなった人を良くなるように管理するものだったと思います。熱を出したり咳をしたりしている人を治す、腹が痛い人を治す、頭が痛い人を治す……といった具合です。現在の医療でその流れにあるのが、手術であったり、カテーテルによる冠動脈疾患治療であったり、内視鏡的治療であったり、薬剤の短期集中的投与であったりといった急性期医療です。生活習慣病のように、臓器障害を起こしていない段階で管理を始めなければならない疾病についての治療概念は、旧来の医療にはなかったものだと思います。
急性期医療では、医療者は積極的に様々な方法を用いて疾病に介入することによって治療を行います。そして、その間、患者さんは医療者の完全な管理下におかれることになります。
加えて私たち医療者の研修は、入院治療を通じて行うことが主となっています。入院治療の場合、患者さんの生活は、食事内容や運動の範囲など生活の全てが医療者の管理下におかれます。
そこで医療者の勘違いが起こってくるのではないでしょうか。すなわち生活習慣病の治療は、医療者が生活習慣を管理することで治療を行うという勘違いです。
急性期医療や入院治療ではどうして患者さんの生活の管理ができるかというと、期間限定の管理だからです。そして、患者さんは期間が限られているからこそ、ただひたすら治りたい一身でその管理下に身を委ねるのです。
同じように、仕事も、学校も、受験勉強も、管理される時間や期間が限られているからこそ継続できるのではないでしょうか。
ところが、生活習慣病における「生活」はそうではありません。


糖尿病診療に嫌気がさした私は、しばらく悶々とした日を過ごしていたわけですが、ある日、診療がうまくいかなかった原因は他人の生活習慣を私が管理しようとしたことにあったのではないかと思い当たりました。
糖尿病の人たちにとって、血糖をコントロールするための“望ましい”生活習慣がどれだけストレスになるのかということ、そして、もっといけなかったことは、他人の手によって自分の生活習慣が管理されるということについてのストレスがどれほどのものであるのかを、私は理解しようとしていなかったのです。
そう言った意味では、私が以前思った「生活習慣を変えるのは患者さん次第」という認識は、正しかったと思います。患者さん自身の生活は、まさに私たち医療を司るものたちがけっして介入することのできない「患者さん自身のもの」だったのです。
生活習慣の自己管理とは、与えられた望ましい生活習慣を自分自身を律することでひたすら守ることではなく、自分自身の手で自分自身の生活を分析し、問題を把握し、目標を立て、それを実現していくことなのだと気がつくのに、結局、10年以上の歳月を費やしました。


今では、患者さんの日常生活の問題点や改善すべき点が把握できたとしても、できるだけ私の考える理想的な解答は与えないように我慢できるようになってきました (それなのに娘に勉強を教える際にはそれができません(笑)。きっと、他人に対してより身内に対しての方が、私にとっても、娘にとっても、自分の感情を抑えることが難しいのでしょうね)。
ときには、誤った方法や効率の悪い方法を患者さんが選択されることもあります。それでも、その方法が極端に健康に悪い方法でない限り、できる限り許容して実行していただくように心がけています。患者さん自らが選択した方法を否定してしまうと、たとえ良い結果が得られたとしても、実現できなかった想いが心の中でくすぶり続けることで、その後の自己管理のモチベーションを奪ってしまうことに繋がりかねないからです。さらには、体験を通して、失敗すればやり直すという手段を身につけることも、長い経過の中では大切だからです。


いまだに糖尿病の診療には様々な困難を感じておりますが、ここ10年ほどの間に、患者さんの声に耳を傾けることが、徐々にではありますが、出来かけたかなという感触はあります。そして、前回のエントリ (医療者の勘違い〜自己管理とは?(前編)) に登場したAさんの「……」に隠された想いを理解することが医療者にとっては何よりも大切なのではないかと、ようやく本心から思えるようになってきました。
それでも、まだ辛抱しながら、我慢しながらお話を伺っていることが正直多いと思います。そして、ちゃんとした診療をしようと思えば思うほど、診療に時間がかかってしまうことも大きな悩みの種のひとつです。
まだまだ理想の診療には程遠い状況ですが、少しずつでも良い方法を見つけていきたいと願いつつ日々を過ごしています。

*1:糖尿病の食事療法では、食品がどういった栄養素を主に含んでいるかということを基にして6つの食品群に食品を分類し、それぞれの食品群からバランスよく摂取できるように考慮します。

*2:糖尿病の食事療法では80kcalを1単位として扱い、1日に摂ってよい適正な総カロリーや各食品群のカロリーがそれぞれ何単位に相当するかということで食事療法を組み立てます。  例 : 1日にとってよい総カロリー15単位、そのうち糖質を多く含む食品群から1日6単位、たんぱく質を多く含む食品群から1日4単位……といった具合です。