テロ特措法について思うこと


先日、安倍総理が辞任会見を行っているところを病室のTVで偶然眼にしました。あまりの唐突さに少し驚きはしましたが、時期を選ばない辞任のタイミング、安倍総理の表情や力のない言葉などから、これ以上総理の職を続けることが難しいということは十分に画面から伝わってきました。
おそらく、情報を収集し、整理・分析することで自分の置かれている状況を把握し、さらにはその状況に応じた適切な次の行動を判断していくということに関して、心身が十分に機能できない状態に陥ったのではないかと想像します。安倍さん自身にとっては不本意でしょうが、とにかくここで総理を辞任できなければ、現在の心身の状態から回復することはかなり難しくなっていたものと思います。辞任できて良かったのではないでしょうか。
想像だけで断言するのは気がひけるのですが、安倍さんには総理という職責を全うするだけの資質がなかったということでしょう。もし、身体面だけの問題であるならば、安倍さん自らはっきりとその旨を弁明すべきと思います。憶測で辱められるよりも、余計なことは考えずに正々堂々と自らの言葉で真実を語るべきです。


さて、APECや安倍辞任で俄然注目を集めているテロ特措法ですが、私自身は、果たして延長する意味が本当にあるのか疑問に思っています。
そもそも、集団的自衛権についての論議をすっ飛ばしているところから気に入らないのですが、そのことを抜きにしての疑問点を述べたいと思います。


テロ特措法に基づきインド洋上で海自が無償給油活動をおこなうことによって、日本はUSAを中軸としたOEFと呼ばれる作戦に参加しているわけですが、まず、日本の参加がどのような国益を我が国にもたらすかということが検討され、議論されるべきと考えます。
「どの国も国際的な安全保障への貢献を優先してOEFへ参加している」などというおめでたい考えは、捨てた方が良いと思います。国際政治を考える上では国益を第一に考えるべきですし、実際、作戦に参加している殆どの国は、必ずそれに伴う国益を計算しているはずです。
Wikipediaによると日本は11カ国に給油実績があるようです。確かに無償給油を行うことで欧米諸国に与える印象は良いでしょう。しかしながら、ヨーロッパ諸国から日本はそのことで何らかの利益を得るのでしょうか。対USAということでは、有事の際の安全保障ということに関して全面的に日本が依存している国であるが故、特別な存在であるとは考えますが、平時で考えた場合、基地の提供や米軍再編をはじめとする諸費用などの面で、むしろUSAこそが日本に依存しているように思われます。
給油活動停止に伴う日本へのデメリットは、USAからの支配に逆らうことへの反感だけと言ってもいいのかも知れません。


それでも、国際的な安全保障という観点からOEFが真に有効な作戦であるならば、参加する意義がないとはいえません。しかし、テロ特措法に基づく活動がOEF参加国へ貢献するのは間違いないとしても、OEFそのものがテロの防止に十分な役割を果たしていないならば、参加による安全保障面での国際貢献ということ自体が怪しくなってきます。もしそうならば、日本は作戦の中止を勧める論陣を積極的に張り、作戦から離脱すべきと考えます。そして、これまでの日米同盟の歴史の流れに抗いUSAをねじ伏せるための唯一つの方法は、この正面きっての、ともすれば青臭くも感じる論議なのかもしれません。
実際にテロ活動がどれくらい減ったか、作戦に伴う死傷者数、費用対効果、テロ対策として他のオプションではどうか……。テロ特措法延長に際して、そのようなことが国政の場で議論され、検討されるべきと考えます。


9.11の時、ブッシュ大統領は、9.11=USAに向けた戦争という趣旨の発言をしたように記憶していますが、果たしてそうなのでしょうか。
国家は、国民の利益や価値観を代表する存在です。国家が武力を介して衝突するとき、当然、自国民の生命や利益を可能な限り尊重する義務が国家には生じます。そして、戦闘への民間人の積極的な参加がない限り、戦闘の標的が相手国の民間人に向かうことは原則としてありません。
したがって、戦争の目的が自国の要求を相手国に飲ませることにあるとはいえ、必要最小限の戦力の使用によって最小限の犠牲で目的を達成することが必然的に要求されるようになります。つまり、大規模な戦力のぶつかり合いによる全面戦争は、お互い回避することが賢明だという暗黙の了解が二国間に存在するわけです。そのため、段階的なオプションに基づく使用戦力の選択や戦時中でさえ外交交渉が必要となってくるのです。
しかし、テロリストたちにはそのような論理は通用しません。彼らは、政府要人であろうと無関係な民間人だろうと無差別に標的にします。そして、彼らにとっては、国民や同胞、それどころか自らの命さえ守るべきものとして捉えられていません。とにかく無差別に他人の命を奪ってくる、そのためには手段を選ばないというところが、テロリストの恐ろしさです。
9.11の際、ブッシュ大統領は大衆のテロに対する怒りや憎しみを巧みにタリバン政権に向けて誘導し、アフガニスタンで戦闘を開始しました。
しかし、その手法は、第二次世界大戦以来の古い文法にのっとった戦争の戦い方です。テロリストの戦い方は、国家間で争われたこれまでの戦争とは全く異なった文法にのっとった戦い方です。おそらく、バリエーション豊富なUSAのどの段階の戦力を行使したとしても、今後テロリストが屈することはおそらくないでしょう。
不毛な戦いに早く終止符を打ち、新たな方向を模索する努力が必要とされています。
アフガニスタン政府、国民にとって最も望ましい方向は、いうまでもなく経済をはじめとする国家の自立と主権の独立です。けれども、いまだ国内の治安は不安定で、民間支援を積極的に進めるには危険過ぎます。かといって、現在のOEFやISAFなどの戦力による治安回復も期待できそうにありません。テロリストたちさえも含めてアフガニスタンの人たちが自立し、アフガニスタン国内で穏やかな日々が送れるようになる良い方法はないものでしょうか。


国際貢献」を錦の御旗としてその意味を掘り下げることなく、そして国益を深く追求することなく、USAに盲目的に追従することでインド洋上での給油活動を延長しようとしている自民党には、自分たちの立ち位置を把握せず、どんなゲームに参加しているかにも気づかず、国際政治の中でただ押し流されてしまっていく危惧を感じます。
それでは、小沢民主党はどうかというと、最近、より一層顕かになってきた国連至上主義ともいえる安全保障に対する考え方に、やはり危険な匂いを感じます。
日本の安全保障を考える上で、当面の最大の問題が北朝鮮の存在であることはいうまでもありません。もし、北朝鮮がらみで日本の安全が侵されるような事態になったとき、中国の加わった安保理に日本の国益を守るような動きを期待することは、(最近、中朝の関係がギクシャクしているとはいえ、それでも)愚かなことだと考えます。安保理は大国のエゴがぶつかり合い、お互いの国益を奪い合う修羅場です。安保理決議に大きな意味を持たすことは、逆にとても危険なことなのではないでしょうか。
もちろん大国と利害関係のない問題に関する安保理決議は重視すべきだとは思いますが、「国連がこう言っているから……」ということを根拠としての国際政治活動を前面に押し出すべきではないと思うわけです。平時の今だからこそ、そうすべきと思います。あくまでも国連は健全な国際世論形成の場であり、利害関係のない中立国が紛争国の仲介をとりもつ交渉の場と考える姿勢が大切と考えます。


USAに支配されることなく良い連携を保つということが、戦後から現在にわたる、日本にとっての最大の外交課題だと思います。おそらく、これからも事あるごとに安全保障がらみでその問題は日本を悩ませ続けることでしょう。
対米追従も、国連至上主義も、いずれも日本にとって好ましい方向ではないと考えます。そして、中国の覇権主義を牽制する一方で、より一層アジア諸国との連携を深め、APECを中心とした活動を重視していくのが日本にとって望ましい方向ではないかとこの頃思うようになりました。