『悪たれの華』(小嵐九八郎 著)〜情念の爆発する瞬間〜


読書の対象になるカテゴリーは、自然、限られたものになってくる。
私、時代劇は嫌いではないが、時代小説というものを殆ど読んだことがない。苦手というのではない。たとえ目にすることがあっても、視野に入らないという感じだろうか。
このカテゴリーで話題になる本があったとしても、手に取ろうという気持ちは、これからもまず起こらないだろうと思う。


悪たれの華』(小嵐九八郎 著)は、江戸時代の花火師の物語。時代小説だ。
NHKの『週間ブックレビュー』で、藤沢周氏の評の中にでた「血が沸騰した」という表現が、記憶にこびりついていたせいか、図書館で漫然と本を選んでいたときに、それが蘇ってきた。
時代小説、しっかりとしたボリューム、しかも二段組……。それでも、「……なかなか血が沸騰する本なんてねぇよなぁ。」と思い直し、借りることにした。


簡単に要約すれば、浅間山の噴火などで家族を失った、花火師を志す主人公が、たゆまぬ努力とさまざまな策略によって花火屋の主にまでに上り詰め、最後には、江戸の空にどでかい花火を打ち上げるまでの物語である。
淡々としたクールな語り口に最初は少し馴染みにくかったが、おそらくクライマックスにやってくるであろう、でっかい花火への予感が、この長い物語のページをめくる原動力となる。
さまざまな策謀で、どんどん人が死んでいく。ピカレスクロマンではあるものの、金のためでも、色恋のためでもなく、ひとえに自分の理想とする花火を完成させるという目的のために、手段を選ばず、人を殺していくのが凄まじい。
策略を張り巡らし実行するたびに、思わぬ人がそれに巻き込まれて死んだり、大怪我を負ったりすることで、たとえ望む結果を手にしても、主人公は、深い絶望におそわれ、花火への情熱を何度も失いかける。
結局は、挫折を乗り越えて花火への情熱を取り戻していくわけであるが、花火への想いが甦るとき、必ず女への色欲が甦るのが興味深い。
高さがどうの、色がどうの、音がどうの、消え際の潔さがどうの、身分を越えてタダで多くの人が見られるからどうのとか……、主人公には、「華学」と自らが名づけた花火に関しての哲学があるが、この色欲と一体となった花火への想いは、そういった観念的なものを超えた、人のこころを奥底から揺さぶる情動に根ざしたもののように感じられた。
主人公が遥か彼方に追い求めている理想の花火が、物語の冒頭にあった、夜空を真っ赤に染める浅間山の大噴火であるならば、花火への想いという主人公を突き動かす情動は、大勢の人の命を呑みこみながら、地の底から吹き上がる浅間山のマグマのようなものなのだろう。


静かにお湯が沸いていくように、クライマックスに向かって次第に気持ちが高揚していき、そして、江戸の空高く花火が上がる場面では、まさに血が沸騰するような興奮を覚えた。
藤沢周氏の評に偽りなし。たいへん面白い本だった。