不登校をめぐって家族のあり方を考えた


朝起きて、電車に乗って職場へ行く。雑事をこなしながら、楽しいことには笑い、気に入らないことには不平をこぼし、1日の仕事が終われば、再び電車に乗って家に帰る。家族とともに寛いだり、家での用事を済ませたりして床に就く。そんな毎日の繰り返し。
今日という日と同じように、きっと明日という日もやって来てまた過ぎていくだろう。何の疑いもなく、同じように毎日が過ぎていくということ。退屈で平凡だけれど、そうした日々を送れているのは幸せなことなのだと思う。


2年前の7月、中学2年の息子が急に学校へ行けなくなった。不登校というやつだ。
よもや、うちの息子が学校に行かなくなるなどと想像したこともなかった私は、どうしたものやらと戸惑うばかりだったが、意外にも妻は落ち着いた口調でこう言い放った。
「 無理に行かさなければいいのよ。 」
そうか、そんなものなのか。妻の自信に満ちた言葉を聞いて、不思議とこちらも妙に開き直った。弱ったことだと感じてはいながらも、なるようにしかならないとも悟った私達夫婦は、息子の好きなようにさせることにした。


不登校というと、すぐ学校でのいじめなどを連想される方も多いと思う。登校そのものを行わなければ、学校での嫌なことと面と向かい合わなくても済む……。そういったケースも勿論あるようだが、そう単純なものばかりでもないようだ。
息子の場合、自分の心の目指す方向を見失った結果、どうしたらいいのか分からず何もできなくなったように見えた。そして、そのひとつの顕れとして、学校へ行けないという症状がでたように思われた。原因は家庭にも学校にもあり、そして子供が関わる全ての生活の場にある。そんな気がした。
できるだけ、子供には余計な苦労はさせたくない。これまで生きてきた中で、良かったこと、悪かったことを子供に伝えたい……。
そんな想いが、「こうしなさい」「これをしては駄目だ」と子供の生活にいらぬ干渉を持ち込ませていた。
息子は、ときに痛い冗談を連発したりすることはあるが、心の優しい真面目な奴である。自分なりに、求められているものを一所懸命に実現しようと頑張っていたのだろう。その気持ちの頑張りが、彼のたましい*1にとっては、知らず知らずのうちに重荷になっていたのかもしれない。
学校へ行けなくなった頃の彼の生活は、少なくともたましいが欲していたものではなかったようだ。


カウンセラーの先生のところには何回か通ったものの、基本的に私と妻は特別なことは何もしなかった。
外に対しては何があっても息子を守ってやろうと決心したこと。家庭の中に息子の居場所を失くさないようにすること。命令することは極力避けながら、自分達の思っていることはぶつけ合うようにすること。心掛けたことはそれくらいである。あとは何でもありだ。
仕事で家を空けていることが多かった私に比べ、妻はよく息子の相手を務め、家族を支えた。娘も自分の価値観を見失うことなく、私達家族の一員として、いい味を出していた。私も、機会があれば、息子とプロ野球観戦に行くようになった。不登校を機に、私達家族の在り方は少しずつ変わっていった。


時が経つに連れ、息子はプロ野球やアイドルへの関心を通じてweb上に仲間を見つけるようになった。私達家族にもこころを開くようになった。妹の仲間達の面倒を見たり、一緒に運動をするようになったりもした。折にふれて、同じ中学の仲間たちが遊びに誘ってくれたのも有難かった。
カウンセラーの先生や習い事の先生など、周りの人たちに恵まれたことも幸いだった。
こうして息子のコミットできる範囲は、次第に広がっていった。


この春より、息子は高校生として再び学校へ通うようになった。
現実の学校生活の中で、彼は同世代の仲間にコミットできる喜びを感じているようにみえる。そして、これからも友人、異性、先生、家族、彼の周りの全ての人についたり離れたりしながら、自分のこころの方向を探っていくのだろう。
私達が、息子や娘にとって、ただ、父として、母としてあり続けねばならない日々はまだまだ終わりそうにない。

*1:たましいについては 2005.11.14エントリー『 もどってきたよ』をご覧ください。