指導の難しさ


最近、娘が塾に通い始めた。
親としては、受験勉強の大変さや進学校の窮屈な学校生活などを思うこともあって、塾を勧めた覚えはないのだが、何を考えたか楽しそうに通っている。昨日も「友達ができた」と嬉しそうに話してくれた。まぁ、どうせ受験させる気もないし(「 受けたければ、受けてもいいよ 」とは伝えているが……)、本人にもその気はないようだ。気楽にやってくれればいい。


彼女は宿題が嫌いだ。学校のも、塾のも、ぎりぎりになるまでやらない。
やらないならやらないで、こちらとしては一向にかまわないのだが、やらないままで堂々と行くことはできない様子。「 宿題をしないのは悪い子だ 」という想いが彼女のなかにあるようで、さらには、彼女なりのプライドも少しはあるようだ。
いつものことではあるが、まるでとりかかる様子もないので、こちらも少しずつ気になってくる。よせばいいのに「 宿題は? 」と尋ねてみると「 わかってる! 」とおきまりの返事。もう、二度と聞くものかと思いつつ、毎度のように繰り返している。


先日、ちょっとしたことから、娘と算数の話題になった。
「 お父さん、今日は分数で時間を表す方法を習ったの。答えてみて。いい?5分は何分の何秒? 」
「 何だ、それ……。5分は何分の何時間って問題じゃないの? 」
「 違うの!5分は何分の何秒なの。先生、言ってたもん……。 」
「 5分は1/12時間だよ。まぁ、300/1秒だけど……。 」
「 お父さんのわからずや! 」


本当にお父さんは分からず屋だ。
娘は勘違いをしていたのかも知れない。でも、ひょっとすると、5分は300/1秒で、それは、600/2秒、900/3秒、1200/4秒……に等しいということが言いたかったのかも知れない。娘が答えて欲しかったのは5分が何分の何秒かということで、何分の何時間かということではない。
結果、娘は腹を立て、悔しさと悲しさで算数の話をやめてしまった。娘の意見を受け入れることのできない、分からず屋のお父さんが、強引に自分の考えを押し付けることで、彼女の算数へのモチベーションを奪ったのだ。


仕事の中で、部下や他人を指導しなくてはならないときがある。家庭の中で、子供たちを指導しなくてはならないときもある。指導者として、大切な姿勢とはいったいどういうものだろう。
「 教えて欲しい 」「 もっと、知りたい 」といったように、指導をうけることへのモチベーションが高まった状態のときには、指導者は楽だ。受け手には教示されるものを理解し、受け入れ、できるだけ吸収しようという姿勢が既にできているからである。そういうとき、指導者は、ただ、正解と正解への道筋を示せばいい。
しかし、モチベーションがけっして高いとはいえない相手には、ただ正解を与えることが正しい指導とはいえない。理解、受容、吸収といった過程には、それなりの労力、集中力を要するため、モチベーションのない状態では、なかなかそれだけのエネルギーを傾けてくれないからだ。
そういった場合、まず話を聞いてあげることから始めるべきだろう。その話の中から相手の興味あることを聞き出し、それに応えてあげることが大切だろう。そういった、指導者としては辛抱強く我慢を強いられる過程を通過して、初めて、指導を受け入れようとするモチベーションを高めていくことができるのではないだろうか。


どうも、自分の娘が相手だと、お互い生の感情をストレートにぶつけ合いすぎるようだ。感情的になったとき、ひとは自分を見失い、相手も見失う。
娘との会話を通して、自らの至らなさに反省した今日この頃であった。