情報源は秘匿すべきものなのか


例の永田寿康議員が、情報仲介者の実名を公表した。

永田議員は、公表の理由として「 先輩議員から『偽情報をつかまされた情報源との間に信頼関係はなく、守る必要はない』といわれ、それを受け入れた 」と記者団に説明した。(3月25日 Sankei Web

情報源を秘匿するか、公表するかという判断が、もたらされた情報の真偽に基づいてなされるというのは初耳だ。情報を得た者は、もたらされた情報を公開する前に、必ずその真偽を確認することが必要であり、ひとたび真実と判断して情報を公開したのであれば、たとえそれが偽情報であったとしても、その責は情報を真実のものとして公開した者が負うのが筋であろう。
秘匿を条件に提供された情報の情報源を公表するという行為がもたらすものは、永田議員や民主党が、情報の提供を受けるに値しない、信頼できない存在であるという認識だけだ。


私が言いたいのは実はそんなことではない。
情報源を秘匿するという約束の下、提供を受けたのであれば、個と個の信義の問題であり約束は守られるべきものである。
しかし、「 情報源、取材源は秘匿されるべきもの 」が、大原則かどうかということは全く別の問題だ。


まず、情報源を明らかにすることで、情報を提供した者に生命の危険が及ぶ可能性があるのであれば、情報源は必ず秘匿されなければならない。
あるいは、「 情報源を秘匿する 」という条件の下であるならば、情報提供者は自分のおかれた立場に差し障りなく情報を提供することができ、取材者は自由に多くの情報を得ることができるというメリットがある。

しかしながら、提供者の情報に対する責任が必然的に薄くなることで、情報の質が低下したり、あるいは、提供される情報が真実のものであったとしても、提供者がある種の意図を持ってリークしたりするといった事態も生じ易い。
情報源の秘匿ということを前提とした情報提供にもとづく報道の信頼性は、ひとえにそれを報道するメディアがどれだけ信頼できる存在であるかということに委ねられている。すなわち、そのような情報は、メディアによってしかるべき検証がなされたうえで報道がなされなければならない。
とはいっても、検証という作業が速報性を犠牲にするというのも動かしがたい事実であり、かくしてメディアが速報性と信憑性の狭間で揺れ動くことは避け難くなる。


今、メディアやウェブには洪水のように情報が流れている。
報道に携わるものは言う。「 国民には知る権利がある 」と。
しかし、国民には、誤った情報やある種の意図を持った情報を鵜呑みにする義務はない。
情報を受け取る立場としては、誰によって発信された情報か、責任の所在がはっきりした情報の方が、発信者不明の情報よりも、少なくとも信頼に足る情報であることは間違いない。そして、「 誰々の情報 」と名前がつけられることで、情報の発せられた背景もより明確になる。
報道する立場としても、責任の所在のはっきりとした情報の方が検証の手間がいくらか省けるというメリットもある。
そのことを踏まえるならば、情報の収集はいきなり情報源の秘匿ということを前提にするよりも、原則的には情報源を明らかにできるものを、まず収集すべきであると考える。


米国企業の日本法人への課税処分に関する報道に関連しての裁判で、3月14日、東京地裁は、「情報源が仮に国家公務員だった場合、一般に明らかにされていない情報を記者に伝える行為は国家公務員法の秘密漏洩(ろうえい)罪に当たる」とした。その上で、記者の証言拒否を認めるのは「犯罪行為の隠蔽(いんぺい)に加担し、奨励するに等しい」と述べ、記者に、取材源に関する証言拒絶権は認められないとの結論に至っている。
この判決に対して日本新聞協会と日本民間放送連盟は17日、共同で「取材と報道の手足を縛り国民の知る権利に重大な影響を及ぼす不当な決定であり、容認できない」とする緊急声明を発表した。

3月17日 asahi.com 1部 管理人改)

この問題は、これまで論じてきたのとはまた異なった非常に微妙な問題を孕んでいると思う。


東京地裁の見解は
1)情報提供者が国家公務員であるならば、提供者は守秘義務違反を犯している。
2)取材源の秘匿は、犯罪行為の隠蔽に加担する行為であるので、「職業上の秘密」を守る行為には当たらない
日本新聞協会と日本民間放送連盟の見解は
1) 取材源は「 職業上の秘密 」にあたり、証言を拒否できる
2) 記者が公務員に秘密情報の提供を働きかけることは、真にそれが取材目的であり、社会観念の上でも是認されるものであれば「 正当な業務行為 」と認められる。
ということであろう。後者では公務員が守秘義務違反を犯しているかどうかの判断が曖昧である。


一見、これは「 取材源が罪を犯しているときにおいてさえも、取材源を秘匿すべきかどうか 」という問題のように見えるが、果たしてそうだろうか。
私がなんとなく引っ掛かているのは、守秘義務を伴う事実を公開してはいけないのは公務員だけで、二次的に情報を得た新聞がそれを行うのはかまわないのかという点である。
公務員だから秘密を守るべきで、公務員でないものは守らなくてもよいというのは、体の良いご都合主義なのではないか。守らなければいけない秘密であるから守秘義務が生じる。守らなくてもよい事実には守秘義務は生じない。そちらのほうが、健全な思考過程だと思う。
東京地裁の見解は別の読み方をすれば、「 新聞は守秘義務を伴う事実を公表したが、そのことは罪ではなく、守秘義務違反を犯した取材源を秘匿しているのは、犯罪者を隠蔽しているのでけしからん 」ということになる。
この事件で本来問題にされなければならないのは、報道の内容が開示されるべきものかどうかという点なのではないか。
「 国民の知る権利 」の下、開示されなければならない事実であるなら、それを開示しない国税に問題があり、取材源であろう国家公務員は守秘義務違反には当たらず、したがって新聞にも取材源の公表の義務は生じない。
それだけのことだ。


情報源の秘匿の持つ意味をあらためて考えさせられた2つの事件であった。
いずれにしても、「 情報源、取材源は秘匿されるべきもの 」とその明確な論拠も述べずに声高に主張する一部の識者に疑問を感じ、このエントリーを書いてみた。