民主党 永田寿康議員の偽メール騒動


レイザーラモンHGに彼女がいた」という報道を受けての街頭インタビューで、彼がゲイだと思い込んでいた人が意外に多かったのにちょっと驚いた。
プロ野球ニュースでの関根さんのコメントのような今日のタイトルだが、自分ではそうに違いないと確信を持っていても、冷静な第三者からみるとどうしてそんな風に思っているのか理解できないこと(要するに、とんでもない勘違いということ)って、よくあるように思う。そして、そんな場合いつも、他人から誤りを指摘されて初めて、「どうしてあの時はあんなことを思い込んでしまったのだろう」と後悔してしまうものだ。


そこで、例の民主党 永田寿康議員の偽メール事件である。
「今さらなんだ」という感じではあるが、この騒動で気になったことがある。
メールが偽物という事実が明らかになるに連れ、一時期、永田議員の議員辞職がさも当然のような風潮になったことに関してである。永田議員の最初の謝罪会見が終わった後、少なくとも私の周りでは、「なんだ、辞職しないの」という妙にがっかりした空気が流れるのを感じた。
真偽も明らかでないものに飛びついた挙句、国会で質問した永田議員や民主党の軽率さには呆れるしかないが、それにしても、根拠の不確かなものに対して質問することで、何故議員辞職まで世間から要求されなければならないのか。程度の差はあれ、これまでもあやふやなことに基づいた質問や答弁は国会でもなされてきたことではないか(質問よりも答弁の方が当然責任は重いだろう。)さすがにこれほど幼稚な思い込みを見かけることは少ないが、他所での伝聞をもとにしたような後追い記事や根拠の不確かな事実をもとにした断定的な報道は、ネットは言うまでもなく、週刊誌などでもよく目にするし、新聞でも見かけないわけではない。そのたびに、発信者は辞職を要求されているだろうか。


Web上の情報は勿論のこと、週刊誌などで報道される情報について、私たちは暗黙のうちに確定された情報ではなく、「こういうことも推測される」といった類の情報である可能性を、無意識のうちに頭においている。「ひょっとしたら、そうかもしれない」とか、時には、「そうだ。そうに違いない」といった確信に近い所感をもつこともあるだろうが、たとえその報道が結果的に間違っていたとしても、その報道に関係した当事者でない限り、敢えてその責を報道した者に求めはしない。
不確かな情報をもとにしての質問であるということを隠蔽した罪があるとはいえ、何故この偽メール事件では「永田氏は辞職も当然」といった厳しい空気を生じるに至ったのだろうか。
それは、国会という場が「真実が語られるべき場所」でなければならないという潜在的な願望が、私たちのなかにまだ残っているからではないかと思う。多くの国民が政治への希望を失いつつある今でさえ、法廷ほどではないにせよ、それなりの根拠に基づいた折り目正しい論争が国会に求められているということの一つの顕れが、それを踏み外した永田氏や民主党に向かう批判の正体なのだと考える。
永田議員の質問の際の民主党の演出(例の「武部と言うんです」「ほーっ」というやつ)が映像として繰り返して報道されたことも批判に拍車をかけた。もともと陳腐で不快な演出だが、偽メールをもとにした質問という事実を知ってしまったあとでは、更に不快感が増してくる。この不快感も、やはり自らの内に潜む望むべき国会の姿にそぐわないことから派生してきているように思う。


このような国民の声に、国会議員の方々は是非とも真摯に応えていって欲しいものだ。そして、この事件をきっかけに国会での疑惑の追及が骨抜きにならないようにとも併せて希望する。
不手際が目立ったとはいえ、永田氏と民主党の謝罪は一応終わった。永田寿康議員に対しては、ぜひ、議員辞職ではなく登院停止程度の理性的な懲罰を望む。そして、あとは永田氏、民主党と武部氏、武部氏の御次男との個人的な問題なのだと思う。


結局、まだ懲罰は決定していないものの、深追いしない余裕のある対応が目立った小泉自民党に比べ、危機管理に甘く、実地で揉まれた経験のない優等生のように、ひとたび窮地に陥るとおろおろするばかりで他人の判断に振り回される前原民主党のひ弱さが目立った。この騒動の陰で、予算案は衆院を通過してしまい、自民党の党利に貢献した民主党の責任は重い。よりいっそうの奮起を望む。