禍転じて……


人に迷惑をかけ続けているのに、当の本人に全く自覚がないといった困った人がいる。
私の上司はそんな人だ。
職場でも家庭でも何処でも、最近何かにつけ上司の悪口が自然と口をついてくる。
ただ、陰口は嫌いな性分なので、できるだけ本人を前にしても、堂々と批判するように心がけているつもりだ。
言われる上司もさぞ気分が悪いだろうと思う。実際、「どうしてあんたにそんなことを……」と顔を真っ赤にして逆切れされたことも多々ある。
まるっきりその人を否定する言葉を投げつけてみたところで、その言葉は相手のこころに届くはずもない。ひとを動かそうと試みるとき、このような手法がかえってマイナスなのは重々承知しているつもりだ。まず、そのひとの考えや行動に理解を示した上で、あらためてこちらの提案を行うといった手順を踏むことが上手い交渉術なのだろう。
けれども、生憎こちらには彼を変えていこうという気持ちなど、とっくの昔に消え失せてしまっている。今の私は彼を非難することでただ自分の怒りや鬱憤を晴らしているに過ぎない。
子供への体罰や出来の悪い部下への説教なんかも、持って行き場のない自分の怒りや鬱憤を晴らしているのに過ぎないのだろう。「愛の鞭」だとか「君のためを思って……」などと誤魔化してはいけない。
「悪口を言うのはやめようよ。これからはいいところを見つけていこうよ」とよく妻に言われる。なるほど、ごもっとも。認められると誰もが嬉しいし、それを励みに成長する。今年は、ひとの良いところをできるだけ探すことにしよう、と年始にあたってこころを入れ替えることにした。
それでも私には上司への悪口や非難を止められない。相手のためにはならないかもしれないが、ストレスを解放することで自分のこころのバランスをとることに大いに役に立っているからだ。私の非難の言葉を笑って受け止められるような、度量の大きな上司が欲しいものだ(そんなひとには悪口や非難も必要ないかもしれないが……。)


年末、とうとうPCのハードディスクが壊れて、全く起動しなくなってしまった(ちなみに以前壊れたのは職場に置いてあるPC。)
別のPCを何とか用意して、「確か住所録はCDにバックアップをとっていた筈……」と思いつつ、探し出したCDのファイルが読み込めなかったのが12月29日。その日から一家全員の住所録をせっせと作り、同時進行で年賀状を作っていった。家族のものを優先したので、自分の住所録づくりにはいったのはもう大晦日の夜という有様。絶対出さなければいけない方以外は、元旦に届けられたものから順に返事を書いていった。こうして私の年末年始は年賀状作りに明け暮れた……。
1月3日、年賀状の束を出し終わって郵便局の階段を駆け下りたその途端、駐車場の車止めに足を引っ掛けて転んでしまった。地面をずりずりずりと擦りながら頬が滑っていく感触。あぁ、やってもうた……。
右の頬と目の上を大きく擦り剥いた私に妻は言った。
「あなたは他人の悪口ばかり言ってるから転ぶのよ。」


大波乱の今年の幕開け。さて、禍転じて福……と、うまくいくだろうか。