プロスポーツの将来 (3) : スポーツの底辺


私はJリーグをはじめサッカーに関してはあまり詳しくないが、印象としては日本におけるサッカーは野球に比べ組織化されている分、将来性を感じさせる。
プロ部分だけに限ってみても、プロリーグ全体の経営主体がはっきりしないプロ野球に比べ、Jリーグは統括者が明確だ。このことは、プロリーグ全体の経営戦略の策定、リーグに所属するクラブの戦力の均衡や経営の安定化、放映権やスポンサーシップの管理、リーグに所属する選手たちの福利厚生……数多くの点でNPBに比べ有利に働くだろう。
そして、前のエントリーで念仏の鉄さんからコメントをいただいたように、プロアマ全体がJFAというひとつの組織の下に統括されていることも、計画的に選手の育成を行うことを可能としている(ただ、Jクラブ傘下のユースチームに所属する選手は、試合の際、学校のクラブ活動での試合とは異なり公休にはならないといった話を以前聞いたことがある。当たり前といえばそうなのかもしれないが、今はどうなのだろう……。)


以前、アルビレックスのことについて書いた『ISBN:4575296724:title』という本を読んでいて、一橋大学の内海和雄教授が触れていたことで気になったことがある。それは「サポータのうち何割がサッカーをしているのか」ということである。
浦和レッズの場合35%だそうである。これがJ1のクラブの平均的な値かどうかは知らないが、イギリス、ドイツの場合、60〜70%だそうだ。この違いは内海教授によると、スポーツの振興を福祉政策の一環として考え、「するスポーツ」の基盤を整えて行こうという文化がドイツやイギリスにはあるということから発生しているらしい。
イギリスは60年代にすでに『スポーツ・フォー・オール』という福祉政策によりスポーツ施設を徹底的に増やし、現在ではイギリスの地方都市には人口1000人当たりに1面サッカーのコートがあるという(この本が出版されたのは2004年4月頃だが、その頃で旧浦和市には学校のグランドを除いて練習場が6箇所、約50万市民が実際に利用できるコートは3面であったということだ。ちなみに浦和のサッカー協会に登録されているチームは97チームもあったらしい。)


これはサッカーに限っての問題ではなく、野球など他の団体競技やテニスなどの個人競技(してみると、この競技という表現も日本におけるスポーツ事情を表している)にしても何ら状況は変わらない。乳幼児とその保護者しか喜ばない、滑り台の付いた狭い公園はもう十分だ。ただ、広い空き地が欲しい。
私が小学生の頃は、田舎だったせいもあるのだろうけど、日曜日などに勝手に小学校のグランドを使って野球の試合をしていた。今は、安全面とか防犯面を考えると、とても許されないだろう。スポーツ行政の一環として、行政が休日に学校のグランドを管理することで地域住民が学校を利用できるようになれば、スポーツに利用可能な面積は一挙に増える。行政が無理ならば、ボランティア活動の一環として住民が管理することが認められてもいい。


競技としてのスポーツは、優れた指導者が居さえすればある程度の水準を保つことが可能だ。例えば、柔道は競技人口としてはフランスなどが圧倒的に日本を凌駕しているが、いまだに柔道日本は揺るぎない地位を保っている(指導者の育成ということに関しては、Jリーグでは積極的に行っているように思われるが、プロ野球では疑問だ。そして、アマチュアでの技術指導者の育成に関しては野球もサッカーもまだまだだろう。)
しかし、スポーツのある生活を私たちはまだ得てはいない。スポーツをする空き地などの場所が減った分、かえって遠ざかった面すらある。生活の中にスポーツがあると実感できる生活が得られてこそ初めて、プロスポーツの経営が安定する環境が整ったといえるのではないだろうか。そして競技スポーツのみならず、人と人とのインターナショナルなスポーツを通じての交流が真に可能になると信じる。