森山直太朗


3年くらい前だろうか、ミュージックフェア森山直太朗が『ハナミズキ』を歌うのをたまたま耳にしたことがある。
「空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと……」
最初のフレーズが聴こえてくると同時に、空に向かって伸ばす手と青空が見えたような気がした。


森山直太朗は、ときに繊細に、ときに野太く、歌で世界を紡ぎだす。
歌がうまい歌手は数多いるが、歌が「世界を表現することができる」手段の一つなのだということを、あらためて気付かせてくれる稀有な歌い手のひとりだと思う。
彼の『高校3年生』(ちなみに舟木一夫のあの名曲とは別の歌です)を聴くと、夏の陽射しの中で母校の塀際に暑苦しく紅く咲いていた夾竹桃や誇りっぽい制服の匂いや放課後の翳った教室の空気が、高校時代の思い出とともに甦ってくる。
『諸君』を聴けば、就職口が決まらなかった頃の日々が、リフレインする。「週休六日の毎日じゃ、相手にしてくれないね」というフレーズにじんわりと疼きを覚えつつも、なんとかなるだろうと自分に言い聞かせながら、明るく開き直っていたことが、今となっては懐かしく思い出される。


メロディーの添え物として消費されていくような出来の悪い歌詞ならば、歌が表現する世界も安っぽくなりがちだが、御徒町凧の詩は、それ単体でも、輪郭のしっかりとした世界を描いている。この確かな詩の世界があるからこそ、歌唱の表現力が生きてくるのだろう。


もしもあなたが 雨に濡れ
言い訳さえも できないほどに
何かに深く 傷付いたなら
せめて私は 手を結び
風に綻ぶ 花になりたい   (『花』)


何にもないとこから
何にもないとこへと
何にもなかったかのように
巡る生命だから      (『生きてることが辛いなら』)


洞察に満ちた言葉で描かれる心は温かく優しい。


という訳で、森山直太朗のコンサートツアー『どこまで細部になれるだろう』に行って来ました(といっても、随分前の話ですが……)。
正直なところ、少人数でのアコースティックなバンド編成に徹していたところや、単調に感じやすい曲順には、若干、不満も残りましたが、歌よし、MCよしで、森山直太朗の魅力を存分に堪能してきました。
いやぁー、しかし、『さくら』は、本当に良かったなぁ……。直太朗の作品の中でも、あまりにポピュラーすぎるこの歌への格別な思い入れはなかったんですが、本当にいい歌だと思いました。未だに進化している『さくら』の歌唱、とにかく驚きでした。
言葉が歌になり、歌が世界を作る……。
森山直太朗には、これからも心を揺さぶる歌を、集中力を切らすことなく歌い続けて欲しいと思います。