PSGに何を賭けるのか?


プロ野球のレギュラーシーズンはとても長い。その長いシーズンを戦い抜いてやっと1位になったとしても、プレーオフという短期決戦で敗れれば、リーグ優勝を逃してしまう。パリーグプレーオフは、なんとも理不尽な制度である。
プレーオフは、レギュラーシーズン1位の価値を、2位、3位に限りなく同等のところまで下げてはしまったものの、では、そうすることで、レギュラーシーズンをつまらなくしたかと言えば、どうだろう。少なくとも、私は、3位争いへの興味も加わったことで、以前よりは面白くなったと感じている(客観的には、観客動員数などがその指標になるだろうが、実数発表でなかった過去のデーターとの比較は難しい。リーグ所属の球団収支からは、プレーオフは、レギュラーシーズンに少なくともマイナスの要素としては働いていないと考える)。
そして、リーグ優勝という大きな再チャレンジのチャンスを与えられた2、3位球団と、長いレギュラーシーズンの苦労を無駄にするまいと必死になる1位球団が、その理不尽さのゆえに生まれてくる緊迫感の中で闘うプレーオフは、実に面白い。好ゲームの続いた昨季のプレーオフの、日本シリーズを遥かに凌駕した面白さと盛り上がりは記憶に新しいところだ。
プレーオフは、レギュラーシーズン1位球団にとんでもない不公平さを強いる理不尽な制度ではあるけれども、リーグ優勝を決定する正当な制度であると強引に決定されたからこそ、観ているものを惹きつけることができ、それを戦う意味が成立し得たのだと思う。そして、価値ある闘いだからこそプレーオフは面白い。さらに面白いということ、それ自体は、プロスポーツでは絶対的な価値を持つ。


そこにセリーグも目をつけた。


今季を最後にプレーオフ制度は消滅し、新たに来期からセ、パ共通の新制度であるPSG(ポストシーズンゲーム)が始まる。
「長いレギュラーシーズンを勝ち抜くのは、たいへん価値のあることですよ。それほど価値ある業績を、こんな短期決戦でひっくり返すなんてとんでもないことはしませんよ。」
PSGは、そんな思想を前提にして生まれた。至極真っ当な考えではあるが、それを認めてしまったことで、PSGは生まれながらにして価値のない闘いの場になってしまった。わざわざ価値をなくした闘いを、なぜ闘わなければならないのか。新たな呼称を模索中とのことではあるが、PSGという気の抜けた名前がまさにお似合いだ。どうしてパリーグはあの面白いプレーオフを捨て去ってまで、こんな制度に同意せざるを得なかったのか。
日本シリーズとは、セ、パ両リーグの覇者が日本一を賭けて闘う制度だ。リーグの覇者でもないセ、パのPSGの覇者(一致する可能性もあるが、少なくともプレーオフではレギュラーシーズン1位とプレーオフ勝者は一致したことがない)が闘う日本シリーズの勝者が、日本一を名乗ることはとんだ欺瞞に過ぎない。その意味では、これまで何度も繰り返されてきた根来コミッショナーの懸念は、あの人にしては珍しく正しいと思う。
日本シリーズは、あくまでも両リーグの覇者が日本一を競う場であって欲しいと私は願う。PSGをサッカーでのナビスコカップ天皇杯のようなレギュラーシーズンとは別枠の大会として位置づけ、それとは別個に、リーグ優勝チーム同士で日本シリーズを行うのならば納得もいく(プロ野球の場合、別枠の大会がどのくらいファンに支持されるかは全く未知数だが……)。


日本シリーズの優勝が、日本一である。」という価値観さえ生き残り、選手達が素晴らしいプレーを見せてくれれば、PSGが多くのプロ野球ファンの支持を得て盛り上がる可能性がないわけではない。
しかし、PSGは、その生い立ちからして気分的には盛り上がりにくい制度であり、そこにプレーオフと同じような面白さが生まれることは期待しがたいように予想する。PSGをこのような腑抜けな生い立ちにし、さらには日本シリーズの価値まで引き下げてしまったプロ野球経営者達のセンスには深い失望を感じている。