WBC2次リーグ アメリカ戦を振り返る


まだ始まったばかりのWBCの歴史に汚点を残してしまった、あのとんでもない判定さえなければ、本当に素晴らしい試合だった。
メジャー最強とは言えないまでも、ヤング、ジータ、K.グリフィー、A.ロドリゲス、C.ジョーンズ、D.リーとメジャーを代表する選手たちがずらりと並んだ打線には、凄まじい迫力を感じた。シールズの球も「こんな球、打てるわけないがな」というほど凄かった。そんな彼らが、初回のジータのセフティーバントに象徴されるように、明らかに日本代表に対して本気になって闘いを挑んでいた。嬉しかった。
イチローのホームランに始まり、グリフィーを三振にとった上原の外角球、川崎のタイムリー、小笠原のファインプレーなど、日本代表もしびれるプレーを見せてくれた。USAに対してパワー不足は否めないものの、互角以上に日本の野球をアピールしながら闘っていた(薮田のピッチングを見られなかったのが本当に残念だ。)
WBCが真の世界大会かどうかという評価はともかく、メジャーリーガーと日本代表が初めてガチンコで闘った、歴史的な素晴らしい一戦になるはずだった。


そこへあの判定である。
西岡のタッチアップを巡る判定には大きく3つの問題点がある。
1) 離塁が早かったという誤審
2) 塁審がいったんジャッジを下した後、監督の抗議をうけた球審がそのジャッジを覆した
3) アメリカの試合で、アメリカの審判がジャッジを行うこと
それぞれについてはウェブ、メディアなどで既に広く述べられているので、ここでは繰り返さない。
ただ、あの判定が野球を愛する多くのファンの失望を生み、WBCMLBへの失望を生んでしまったことが、残念でならない。


その日、私は午前5時40分からこの一戦が始まるのをワクワクしながらTVの前で待ち構えていた。やがてゲームは始まり、予想を超えた、内容のあるゲームの展開に酔いしれた。
とはいえ、仕事を休むわけにもいかないので、リーの同点HRの出た6回裏の終了時点で泣く泣くTVの前を離れた訳だが、あとでこのタッチアップの話を聞いて、「本当にリアルタイムで観なくて良かった」と思った。もしリアルタイムで観ていたら、ひょっとして、もうこれから先、WBCを観ることはないかも知れない。
リアルタイムでやり場のない憤りを経験しなかった分、この最悪の判定を巡るドラマが、実際に私が眼にした素晴らしかったゲームほどには私の記憶に残らないことを心から祈っている。(理不尽な誤審をリアルタイムで経験すると、本当に尾を引くものだ。1978年日本シリーズでの大杉選手のHRの判定に対する怒りは、当時バリバリの阪急ファンだった私の心に根強く残っており、思い出すたび今でも腹が立ってしょうがない。しかも、今回は誤審だけが問題ではないときている。)


MLBを司るものたちには、自分たちが野球の生みの親であり、最高のレベルの野球を提供しているのだという強い自負がある。彼らにとって、国際野球連盟IBAF)などという団体は屁ともない存在なのだろう。彼らの意識の中にある野球の図式は、最高のリーグMLBが存在し、その下に世界の野球団体、プロリーグがあるといった構図なのではないだろうか。
WBCMLBとMLBPA(MLB選手会)が主催し、IBAFも認めた国際大会だが、今のところ、MLB自体は、野球世界一を決める国際大会を開催する意義や必要性を、おそらく実感として持ってはいないだろう。彼らにとっての世界チャンピオンは、あくまでも至高のリーグMLBのチャンピオンであるワールドシリーズの覇者なのだ。そして、彼らにとって、WBCMLBのインターナショナルなプロモーションの一環であり、MLB所属の世界に散らばる選手たちの力を見せつける場所に過ぎないといった認識が随所に感じられる。
そのような意識を背景にするからこそ、アメリカの試合にアメリカの審判がジャッジを行うというとんでもない愚行*1が生まれてくるのだろう。
だからこそ、日本、韓国やキューバには頑張ってもらいたい。たとえ試合に負けることがあっても、MLBとは違う野球の凄さ、存在感を彼らの眼に焼き付けて欲しいのだ。

*1:どうせならば、ギャラを奮発していっそメジャーの厳正な審判を連れてきてもらった方がましだ