[わたしの周りで] 茨木のり子さんを偲ぶ


「考える木」という、ちょっと変わった私のハンドルネーム。実は詩からとったものだ。(2005年7月10日のエントリー「HNについて」


その場所から動くことができない木が、種としてそこに運ばれてきた日の記憶をたどり、再び旅立つ日のことを想う。やがて、木は自分の想いを種に托し、遠い地へと種を飛ばす。


『木は旅が好き』(『倚りかからず』より)はそんな詩だ(拙い要約で申し訳ない。)詩の中の木と自分の状況がだぶって感じられた私は、そこから「考える木」というHNを創り、そして、今日もwebに想いを飛ばしていたりする。
この詩を書かれた茨木のり子さんが2月19日に亡くなられた。享年79歳。突然の訃報であった。


私は、仕事に集中できなくなったとき、時間が許されるならば、webを眺めたり、他所のエントリーにコメントを書いたり、時には自分のエントリーを書いたりして仕事から逃げている。それでも、どうしても仕事に戻りたくないときがある。そんなとき、茨木さんの詩集を開くことにしている。訃報を知った後で、2月19日も、たまたま『倚りかからず』を開いたことを思い出した。
彼女の詩には、一人で生きぬくことの清冽さ、そして運命としてそれを受け入れざるを得ないひとの人生の重みが静かに流れている。とはいっても、それはけっして重苦しいものでも、悲観的なものでもなく、勇気づけられたり、ときには叱られたりしながら、いつも再び実の生活に私を戻してくれる。
詩誌『櫂』にともに参加した大岡信氏は、茨木さんの詩を「すっきりと姿勢の立った詩」と評していたが、茨木さんの詩からは、まさに背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向いて生きるひとりの人間の姿が感じられる。それは、すっきりと姿勢のたった茨木さんそのものの姿なのだろう。


孤独な死であったようだ。2月19日も亡くなられたというよりも、亡くなられていたのが発見されたという状況であったらしい。2月22日のニュース23多事争論で、筑紫哲也氏は「まさに誰にも倚りかからずに生き抜いた、茨木さんらしい亡くなられ方」とその死を評したが、(放送時間が限られているにせよ)それほど簡単に括ってよいものだろうか。
仕事柄、私は多くの老人に出会う。
その中には、家族の負担にはなりたくないし、誰にも迷惑をかけたくないが、ただ動くことができないため(記憶することや考えることもしっかりとしているし、内臓の機能は全く問題がない状態で)、申し訳ないという思いを抱えながら、家族の世話になったり、病院や介護保険施設に入ったりしている人もいる。誰かに頼りたくても、頼る身内もおらず、施設に入りたくとも頻回の通院治療が必要であるため入る事ができず、仕方なく一人で暮らしている人もいる。
多くの一人暮らしの老人は、次第にままならなくなる体を抱えながら、これから先の生活への大きな不安の中で暮らしている。そして、またその家族も、仕事を抱えながら、自分達の暮らしと介護の両立に悩んでいる。
茨木さんの「倚りかからず」は、一切のものからこころを自立する決意を謳い上げたもので、筑紫氏のコメントには少し違和感を覚えた。
茨木さんが、どのような思いを抱え、ひとりで死を向かえたかを思うと胸が痛んだ。