フィギュアスケートとの出逢い、想い


冬にもオリンピックがあるということを初めて知ったのは、札幌オリンピック(1972)のときだった。
TVで東京オリンピックを観ようと、走って幼稚園から毎日帰っていた記憶があるから、オリンピックに興味を持ち始めたのは、結構早い方だと思う。それでも、その後さらに8年間、冬のオリンピックの存在には気が付くことはなかった……。猪谷千春の銀メダルなど勿論知らない。私を平均的な日本人とするなら、当時、ウインタースポーツは、まだまだごく一部の人たちのマイナーな存在だったようだ。


私はウインタースポーツにはあまり縁のない地、四国で育った。
私にとってスキーとは、皇室や若大将こと加山雄三、はたまた富士山(エベレストはその後)を滑り降りる三浦雄一郎のもので、自分でやるスポーツとして意識されることはなかった。が、スケートに関しては、幼稚園の頃からローラースケート(今のローラーブレードのような靴などなく、足を固定する台にベアリングを装填したコロが前後一対ずつ付いた、台車のような代物を履いて滑っていた)を始め、小学校2年の時には父に連れられて、連絡船で瀬戸内海を渡り、遠くスケートリンクのある岡山まで滑りに行っていたから、相当入れあげていた方だろう。


ローラースケートでブイブイ滑ることから入ったので、当然のように速いということが私にとってスケートでは唯一無二の価値を持った。
しかし、残念なことに、狭いスケートリンクでは一般人がスピードスケートを履いて滑ることは禁止されていて、泣く泣くホッケーかフィギュアかの二者択一(いずれにしても、貸し靴にもこの2種類しかないので、結局どっちかから選ぶことになったと思う)を迫られた。ホッケーの方がスピードは出たが、ホッケーを履いた連中には(あくまでも私の周りのことです)、もたもた滑っている人たちの間すれすれのところを縫うように滑ったり、立てたエッジで氷を飛ばしながら、初心者のすぐ脇ぎりぎりの所に横滑りして来て止まったりする、品の無い輩が多かったので、フィギュアを選ぶことにした。
フィギュアスケートで、得意そうにスピードスケートの選手の真似をして滑る生意気なガキ、それが私だった。


そんな私も、地元にスケートリンクが出来た頃には、すでに速く滑ることだけを目指す単調さに飽きてしまっていた。かといって、他人の間を縫うように滑って、優越感に浸るような下品な人間にもなりたくなかった。自分は他人より上手く滑れる。とにかくリンクで目立ちたい……。
そんな私が気になったのは、くるくるとスピンを回ったり、前進やバックでサークルを描いたりしている、元国体選手だったという指導員の姿だった。当時、私が滑っていたそのリンクでは技術指導のサークルもなく、仮にあったとしても、車で30分かかるそのリンクまでの決まったアクセス手段もなければ、予算もなかった。
かくして、私の見様見真似のフィギュア修行が始まった。スケートの技術書など小学生には無縁のものだったので、とにかく一所懸命に指導員の真似をした。指導員も気付いてはいたのだろうが、いっこうに教えを請いに来ない生意気な小学生を無視し続けた。
誰よりも速く滑ることも目指していたため、そこそこのスピードで滑ることが出来た私はスピードに任せてジャンプも試みたことがある。さすがに当時は身軽だったため、3分の2回転くらいは何とか回れた(今では飛び上がるだけで精一杯)が、それ以上はどうしても無理だった。スピンは3〜5回転くらいまでで、それも軽量とスピードを生かした、ただの力任せの技にすぎなかった。悔しかった……。
上達しなかった私は、中学に入った頃から次第にスケートから遠ざかるようになった。どうして「教えてください」のひとことが言えなかったのか、今でも悔やまれてならない。


フィギュアスケートのように技を競うスポーツにおいては、新しい技が出来るようになることこそが、かけがえのない喜びであり、さらに競技を続けていくモチベーションとなる。
今のように高度な技を競うようになれば、スケートの低年齢化を止めることはできないだろうし、技に対する欲求への抑制を幼い子供に求めるのは難しいだろう。
トリプルアクセルなどの高度なジャンプをマスターするのにどのくらいの期間が掛かるのかよくは分からないが、骨格や筋肉が発達途上にある少年少女期に、このジャンプの反復練習が、好ましからぬ影響を与える可能性は想像に難くない。その点ではISUの主張するオリンピックの出場年齢制限の大義名分は正しい。しかしながら、高度なジャンプに高得点を出す採点基準を採用する以上、この規定がスケートの低年齢化の抑止には何の役にも立たないことも、ISUが承知していないはずはない。グランプリの年齢制限がない 年齢制限がゆるいことも考え合わせると、巷で囁かれているように、真の狙いは、秀でた若い選手のプロへの流出への防衛策にあるのだろう。


トリプルアクセルや4回転がどれほど凄い技であろうと、フィギュアスケートの多くの観客を魅了するのは「滑りの美しさや楽しさ」だ。
片手で足を持とうが、両手で持とうが、ビールマンスピンの美しさにかわりがあるだろうか。一般の多くの人には、サルコウ、ルッツ、フリップ、ループの違いは分からないだろう。それどころか、アクセルと他のジャンプの区別すら分からない人は多い。しかし、それが分かることが、どれほどフィギュアスケートの鑑賞にプラスとなっているのだろうか。
私はジャンプの中では滑走の力がそのまま回転に生かされるサルコウ(特に男子のサルコウ)が好きなのだが、サルコウは難度が低く、ルッツなどより評価が低い。長野の男子フィギュアで、最も支持された選手は、(あくまでも、私の印象では)キャンデロロだったと思うが、キャンデロロの人気を支えていたのは、高度な技ではなく、ステップをはじめとした氷上を楽しそうに舞う姿だった。そして、サラエボのトービル・ディーン組のような、ドラマティックな演技が、今後オリンピックで再現されることはないだろう。
フィギュアスケートの魅力は、採点の届かないところにある。そういった意味では、オリンピックではなく、プロフィギュアの方が本来のあるべき姿に近い。しかし、競技としてのフィギュアがなくなれば、フィギュアを極める選手もいなくなり、衰退の一途をたどることは明らかだ。私達があの美しさを堪能することもできなくなってしまう。
この大いなる矛盾を抱えながら、これからもフィギュアスケートの採点は揺れ動いていくのだろう。