プロスポーツの将来(2): プロ野球の危うさ


東北楽天ゴールデンイーグルス福盛投手のブログで随分以前に読んだ話なので恐縮だが、少年野球に危機的状況が訪れつつあるらしい。人数が集まらなくて野球部が廃部になったり、地区の少年野球クラブが統廃合されたりといったことが全国各地で起きているようなのだ。
少子化の問題は、どのスポーツも避けて通れない。しかし、少年野球の問題は少子化の影響というよりは嗜好の問題だろう。今の子供たちの興味は、どちらかといえば野球よりはサッカーに向いているようだ。さらに、ジュニアからユース世代になると、泥臭いイメージをもつ団体競技よりもテニスのような個人競技へと志向が移っているように思う。健康志向も個人競技志向に拍車をかける一因になっている。つまり、少人数でも、ひとつの家族でも、あるいは一人ででも生涯できるスポーツを求めるという訳だ。


体育の授業でソフトボールをすることがあるとはいえ、野球をやったことのない人も増えてきている。私が小学生の頃は、田舎だったこともあって、放課後にそこいらの空き地やグランドでキャッチボールやノック、大人数が集まれるときは野球の試合などをよくやっていた ( 9×9人集まれることはさすがに少なかったが、集まったときはそれこそ気合が入ったものだ。)
夏の眩い光の中で草の匂いを感じながら、冬の冷たい風にふるえてしもやけをつくりながら、とにかく僕たちは日が暮れるまでボールを追いかけた。バットやグローブなど使わず、素手でやわらかいボールを打ったり捕ったりしていたこともよくあった。竹にビニールテープを巻いてバット代わりにしていたこともあった。時には、近所の野球好きのおっちゃんが混じったりすることもあったが、子供たちでそれこそ適当に集まって、適当に遊んでいた。当時、「おーい磯野、野球やろうぜ」のサザエさんの世界は確かに存在していた。


サッカーにはフットサル、バスケットボールには3 on 3、アメリカンフットボールにはフラッグフットボールと少人数でゲームの楽しさを味わえるゲーム形式があることは良く知られている。
実は野球にも、私たちの世代には馴染み深いゲーム形式がある。三角ベースボールである。以前このブログにもコメントをいただいたことのある念仏の鉄さんのブログ 『見物人の論理』にアフリカ野球友の会の「三角ベース普及プロジェクト」のことがエントリーされている。ここで私がとやかく言うよりも、鉄さんのエントリーやアフリカ野球友の会のページを見ていただければと思う。このエントリーよりも格段上級な内容が盛りだくさんだ。
野球という競技は団体競技ではありながら、一対一の対決の積み重ねによって競技が成り立っているところにその魅力があるように思う。つまり、投手対打者、打者対捕手、打者対野手、走者対野手といった対決だ。さながら、野球は柔道の団体戦のようなものに似ているように思う。プレーをしているときも、観戦しているときも、この一騎打ちにこそ野球の醍醐味がある(ドカベンなどに代表される野球漫画も、この一対一の対決のオンパレードだ。)三角ベースボールはこのような野球のシンプルな魅力を身近に体験することが出来る良いツールなのではないだろうか。
とにかく、本来の競技の持つ魅力を手軽に身近に体験することがその競技に親しみを持つ第一歩であり、ファンベースの確保に繋がってもいく(このファンベースの確保ということについては、NFLが最も戦略的に行っているように思う。ゲームの中での役割分担ということで個性を伸ばす、個々のプレーヤーの協力によりチーム全体の戦略が成り立つといった個性の伸長と協調性の二点を売りに、フラッグフットボールは日本でも学校教育の中に浸透しつつあるようだ。)三角ベースボールのようなゲーム形式が野球にはぜひ必要だと思う。前のエントリーでも触れたが、次の世代の競技人口の減少は明らかにそのスポーツの衰退につながる。そして、競技に対する馴染みがないところに競技者は勿論、ファンが育ってくるはずもない。



少年野球のみならず、プロ野球に即戦力を供給する社会人野球でも廃部が相次いでいる。都市対抗野球の衰退とともに、企業としての一体感、いわゆる企業アイデンティティを野球の応援を通して持つことの意義が、コストに合わなくなってきているためだろう。優れた選手を数々輩出してきた名門野球部がいくつも閉部されていくのは寂しい限りだ。
プロ野球を目指す選手たちがアマチュアで最初に目標とするのは、ほぼ例外なく春夏の甲子園だろう。常連校といわれる私立高校への野球留学などによって、地域のアイデンティティの発露が高校野球から去り始めて久しいが、これも野球人気に影を落とすことには繋がっていないだろうか。高校野球をけっして野球好きの人たちだけのものにしてはならない。高校野球とは、普段は野球などに見向きもしない老若男女を熱くさせるものでなければならない。野球に潜在的に親近感を持つそのような人々の存在があってこそ、野球人気が保たれるのではないだろうか。
さらに、巨人戦中心であるとはいえ、プロ野球中継の視聴率の低下も困った問題である。これまで巨人戦の視聴率というのは、巨人ファンとアンチ巨人ファン(巨人と対戦するチームのファンという意味ではない)によって支えられていたところが大きい。目先の戦力の補強だけに目を奪われ、ファンの中にチームへの愛着を育てられないばかりか、そのチーム力すら失っていった巨人がファンを失っていくのは当然だろう。さらに、倒し甲斐のある手強い相手でもなくなった巨人にアンチ巨人という存在もその意味を失ってしまった。そもそも巨人戦以外の試合が殆んど中継されないことが大問題なのだが、その問題は別にして、地上波で放送される殆んど唯一のカードである巨人戦すら放送されないような事態になってくると、全国的な野球人気はさらに低迷していくだろう。これまで巨人人気に依存してきたセリーグNPBはいま正念場を迎えている。


プロ野球の関係者のうちで、野球の競技としての危機を感じている人がいったいどれくらいいるのだろうか。WBCをめぐるNPBの対応を見ていると、経営者にはもちろん、選手たちの中にも、次世代の子供たちに意識的に野球というスポーツを広めていこうという意識の希薄さを感じてしまうことはとても残念に思う。今こそプロアマ一体となった日本における野球というスポーツの再構築を真剣に考える時期に来ているのではないだろうか。