プロ野球ファンのフィールド オブ ドリームズ (2)


今季は機会ある毎にできるだけ球場に出かけてプロ野球を観ることにした。
野球狂であることはもちろん、こんな私でもプロ野球の危機にいくらかでも貢献できれば……という思いもあったからだ。
プロ野球ファンの息子と二人で出掛けたこともあれば、妻や娘を含めた一家総出で出掛けたこともあった。
これまではどちらかと言えばじっくりと静かに観戦できる内野席を好んできたが、今季はチーム全体の動きを俯瞰しようと一貫して外野席で観戦してみた。
外野スタンドでは、ご存知のように、各選手のテーマやチャンステーマにあわせて応援団と熱心なファンが一体となった応援が繰り広げられて行く。静かにゲームを味わいながら観戦することはできないものの、応援にシンクロするようにゲームの流れに巻き込まれ飲み込まれながら、知らず知らずのうちに興奮している自分に気付く。内野席では得られない感覚だ。
それでも野球が面白くて仕方のない私や息子は、内野席には内野席の、外野席には外野席のそれぞれの楽しみ方がある、というくらいにしか感じていなかった。私たち二人にとっては、球場へと出向かせる最も魅力あるコンテンツはあくまでも試合そのものであり、満足度は試合そのものの内容によって得られるものだからだ。


野球狂のこんな二人にごくたまに付き合わされる妻や娘にとっては、野球観戦はひどく退屈なものであったらしい。妻は幾人かのスター選手を知っている程度だし、娘にいたってはTVで野球中継がついていたりすると露骨に嫌がるうえ、ルールすらよく知らない。
今季は買い物で釣って付き合ってもらった訳だが、とにかく彼女たちは外野スタンドでの観戦と応援を初めて体験した。
4時間近い長い試合であったが、試合が終わった時、二人とも意外なことに「面白かった」と口を揃えた。試合の内容もこれまでになくよく覚えている。
静かな内野スタンドでは、まずゲームそのものに集中することが強いられる。野球に興味がない人にはこれは結構辛い。外野スタンドでは、応援の中に身を委ねることで自然と試合に感情移入ができ、試合の興奮も体験できたようだ。
野球をよく知らない人間にとっては、同じ野球を観ても座る場所によって満足度にこれほどの差が出るのだということには今季初めて気付かされた。


阪神甲子園球場に行かれたことがあるだろうか。
阪神ファンで覆い尽くされたすり鉢型に聳え立つスタンドは、試合の流れに寄り添うようにひとつに溶け合って興奮し、落胆し、そして歓喜に包まれ唸りを上げる。外野も内野もアルプスも、殆んど総ホーム状態である。
リーダーたちの動きを見つめて、いい年をしたおっちゃんたちが皆一心にメガホンの動きやリズムを合わせている。ライトスタンドのメガホンの動きを見ながら、レフトスタンドでそれにシンクロさせようと躍起になっているおっちゃんも大勢いる。思わず、「おいおい、試合をみろや。」と余計な世話を焼きたくなるくらいだ。
応援のバリエーションも多彩で、しかも関西独特の笑いのセンスも随所に生かされている。お見事の一語に尽きる。
7回裏、メロディーに合わせて観客たちに抱えられたジェット風船がゆらゆらと揺らめく。まるで心地よい夢の中のような情景の美しさには感動すら覚える。阪神ファンには至福のひとときだろう。これほどの素晴らしいスタンドで応援できる阪神ファンが羨ましい。
勝ったときには勝った時の、負けたときには負けたときの、同じ戦いを戦い抜いた同胞意識と連帯感。阪神ファンは今日もその空気を求めて甲子園球場に集う。この甲子園球場の持つ空気が、阪神タイガースを、そして阪神ファンを支え続けてきたのではないか。


入場料收入は球団收入の主柱である。そして、球場に呼び込めるファンを多く持てばそれに比例して売店收入やグッズ收入も増え、ファン数に比例して広告収入も見込むことができる。
球場に客を呼び込むコンテンツとしては、試合内容そのものがもちろん重要であるには違いないが、それだけでは野球への興味の薄い客層を呼び込むことはできない。
妻や娘の感じた楽しさは、応援というツールによって醸し出された球場の持つ空気の楽しさであり、それは明らかにプロ野球の魅力のひとつだと思う。
外野席、そこはまさにプロ野球ファンにとってのフィールド オブ ドリームだ。
そして、その際たるものが甲子園球場なのだと思う。