プロ野球ファンのフィールド オブ ドリームズ (1)


今は昔、巨人・大鵬・卵焼きと云われた時代があった。
時は移り今、日本で一番人気のある球団は阪神タイガースである。
最近3年間で2003年、2005年と2回の優勝を果たし、今でこそセリーグきっての強豪チームとなった阪神だが、1985年日本一となって以来1987年〜1991年、1993年〜2002年と連続Bクラス(1992年は2位)の長い暗黒時代があった。とりわけ1995年〜2001年は1997年の5位を除いて全て最下位であった。
そんな時代にも、阪神タイガースを辛抱強く支え続けたファンが大勢いた。
どうしてタイガースはそこまでの人気を負け続けても保つことができたのか。
正解が導けるなどと思いあがってはいないつもりだが、その答えを一所懸命に考えたところに日本プロ野球の明日が見えてくるような気がする。


阪神タイガースは、阪神電鉄というアクセス手段を持っている。
甲子園に向かう阪神電車の中はいつも阪神ファンで大賑わいである。
このような自前のアクセス手段を持っていることは運賃收入や車内の広告収入が見込めるのみならず、路線を利用して自球団に関する広報を打つことにより、利用者を知らず知らずのうちにファンへと誘導するという効果もある。
しかしながら、アクセス手段を自前で持つということは球団経営に不利には働かないものの、それほど有利にも働いていないことは、電鉄系の球団が必ずしも成功していないのをみれば明白だ。
関西では阪急、近鉄、南海、関東では西武、九州では西鉄……。
自前のアクセス手段はキーではない。


他の関西の球団のファンの人には悪いが、不思議なことに随分前から関西を代表する球団と言えば、まず阪神であった。
幾多の関西の球団の中で、阪神タイガースほど大阪文化圏に深く浸透した球団はない。
阪神の成功はこの地域への強い結びつきによって成し遂げられたといってもよい。
いかにして阪神はこの地域密着を手に入れたのか。
なぜ、阪急、近鉄、南海、オリックスではなく阪神なのか。
これはかつて阪神タイガース大阪タイガースという名称であったといったような単純な理由ではないはずだ。


阪神にあって他の関西の球団にないもの、それは巨人という対立軸だ。
「巨人軍は紳士たれ」という言葉に象徴されるように、巨人はスマートな東京文化の象徴である。
関西人にとっての鼻持ちならぬ存在である讀賣巨人軍とぶつかり合うことのできる球団は、関西では阪神タイガース唯一つ。
巨人と戦う阪神を応援することは、関西の他の球団を応援するよりも関西人としてのアイデンティティが最も意識され、血を騒がすことなのだと推測する。
そう言えば、杉浦、野村らを擁する南海ホークス日本シリーズで巨人を叩きのめした頃、大阪ではホークスが一番人気だったという。
結局、阪神タイガース讀賣巨人軍という東京文化圏の象徴と戦うことによって大阪文化圏と密接な繋がりを得ることができたのだと思う。
そして、巨人の人気、実力が凋落した今こそ、阪神の真価が問われることになるだろう。


と、ここまで書いてきたのだが、これだけでは弱い阪神が支持され続けたことを全く説明していない。
本題はこれからなのだが、時間もないので私の言いたいことはまた次のエントリーで……。