魅せるストレート


山口高志が表舞台から姿を消した頃、プロ野球にスピードガンが導入された。
スピードガンは、それまでとかく議論の的となっていた「誰が一番速い球を投げるのか」という命題に明快な答えを出した。
それとともに、多くのプロ野球ファンは「何キロの球を投げるか」ということで投手を評価するようになった。
表示された球速を見て「速いなー」と初めて実感できる習慣を身につけた時、野球ファンは多くのものを失ったのではないか。
「球が伸びる」という表現がある。
打者の手元であたかもボールが加速するように見える時の表現だと私は解釈している。
力学的には投手の手から放たれた後、ボールに加わる力は空気抵抗と重力のみであるから、ボールが加速することは有り得ない。
つまり、伸びる球の正体は「減速しにくい球」ということにあるのは明らかだ。
球速表示の大きい球よりも、この伸びのある球ほど打者を空振りさせやすいようだ(クルーンのようにめちゃくちゃ速い球は別格だが……。)
なぜか。
「投手の手から離れた瞬間」から「打者の脳が打とうと判断するまでの瞬間」までの間の球を見ることによって、打者は球速を推し測る。
脳が打とうと判断して実際に筋肉の動きが始まるまでの時間(反応潜時という)と実際のスイングの時間の合計(反応時間という)は打者によって一定だと考えられる。
したがって、打者が「速い!」と判断した時は、球速を推測する時間を短縮しているはずだ。
球速表示の大きい球は、打者が早目に対応を始めなければならない分、球を見極める時間が短くなり、それだけ投手は有利になる。
しかし、その後の反応時間中にも打者の目は球を追っており、微妙な軌道修正は可能であろうし、ましてこの反応時間中に球が減速するほど時間的な余裕が生まれ、打者には有利に働く面もある。
伸びる球ではどうであろう。
球速表示に逆相関して球速を推定する時間は決まってくる(「速い!」と判断されるほど球速を推測する時間は短くなる)が、反応時間が始まった後、球が減速する度合いが小さいほど、打者の手元までの時間は予想した以上に短縮し、その結果、スイングは間に合わず打者は空振りすることになると考えられる。
投手が渾身の力を込めて投げ込んだストレートに打者のバットが空を切る瞬間。
その刹那の興奮がまさに野球の醍醐味である。
打者を空振りさせる伸びのあるストレートこそが野球を愛するものを真に魅了することができるのだと思う。
野球ファンは球速表示ではなく、もっと自らの目でストレートを判断して欲しい。