心に残る剛速球投手


クルーンの161kは速かった。しかも、クイックで……。
初めてプロ野球を観た日、私の心の速球王はまだ一度も見たこともない金田正一だった(古っ!
忘れもしない、巨人−サンケイの開幕戦(またまた古っ!
その日、私は「どんな凄い球が見られるのだろう」と、TVの前で金田の投球を今か今かと待ち兼ねていた。
初めて見る金田は、まるで岩田鉄五郎( 知らない人にはごめんなさい m(_ _)m )が「にょほほほほ〜」と雄叫びを上げながら投げている姿そのものだった(当時、水島新二氏はまだ「野球狂の詩」を画いてはいなかったが……。)
当時の金田は400勝が早いか、300敗が早いかというまさに選手としては晩年期で、自分でローテーションを決めていた頃の往年の力を失っていた。
実況アナと解説者は、「金田は開幕弱いんですよねー」「いいんですよ、それでも……。開幕は金田と決まってますから」とか何とか、まるで縁起物を見ているような会話をしていた。
私のプロ野球との出会いはそんな躓きから始まった。
最初の真の剛球の記憶は西鉄ライオンズ池永正明だった。
弾むようなダイナミックなフォームに私は魅せられた。
その後、江夏豊村田兆治と贔屓の速球投手は変わっていったが、私の中で今でも速球投手の' the king of kings 'というべきピッチャーがいよいよ登場する。
[[山口高志]] 。阪急ブレーブスV3の立役者となった伝説の剛速球投手である。
その速さは「山口の球は三日前から振らなければ当たらない」とまで言わしめた。
特に1975年広島カープとの日本シリーズでの山口のピッチングは凄まじいものがあった。
山口の投げる高めのくそボールに、山本浩二を始め広島の主軸打者のバットは面白いように空を切った。
山口が活躍していた頃は、ちょうどセンターからのカメラで野球中継が始まった頃だったと思う。
実働4年。スピードガンの登場を待たずして、腰痛のため山口はその太く短い投手生命を終えるが、センター方向からのカメラであの唸りをあげるようなストレートを見られたことは本当に幸せだったと思う。
「当時スピードガンがあったら……」とか「山口の球は160kくらい出ていたのでは」と言われるが、そんなことはどうでもいいように思える。
おそらく球速だけならクルーンの方が速いと思うし、山口以上の球速の球を投げている投手は他にもいるかもしれない。
けれども、忘れようとも忘れられない、打者の手元でまさに加速するかようなあのストレートは、私のなかで永遠の最高の剛速球なのだ。