「奪われた野にも春は来るか」鄭周河(チョン・ジュハ)写真展に行く


写真の中の、もとより人影の乏しい、あるいは、意識的に人影を排した山間や田園の景観は、穏やかで、静かで、拍子抜けがするくらいありふれた日常的な風景にみえた。



地震津波の爪痕がくっきりと残された写真を視なければ、福島県南相馬市周辺の地域で撮られたことに全く気づかないような写真が並ぶ。注意して視れば、遠くに写る民家の梁が曲がっていたり、壁が崩れていたりはするものの、おそらく、福島に住む人々にとっても、ちょっと見ただけでは、震災前と大きくかけ離れていない眺めなのかもしれない。そこに写されているものは、住人たちを、長い歳月、育み、見守ってきた風景なのだろう。
ただ、風景の中に人がいないこととも関係しているのだろうが、じっとみつめていると、不気味さや不安と似てはいるが微妙に違う、ひどく不安定な、居心地の悪い感じを覚えてくる。



「これは福島なのだ」と、意識して視る。静かな風景の中にある木々、美しい紅葉、落ち葉、草、藁、土……、全てが放射能に汚染されているかもしれないという怖しい現実が、あらためて意識される。
自分の故郷の風景を想像してみる。そして、その懐かしい田園風景のすべてが放射能に汚染されていることを想像しながら、さらに写真に向かう。
写真に写った風景が一変する。



立ち入りが制限された区域で撮ったという事実は別にして、多くの写真には、特別なものが写っているわけではない。写真家の意匠が、被写体に強く表れた写真でもない。それでも、これは特別な写真なのだと思う。
今、生活を営んでいる土地や懐かしい故郷の風景は、そこで生きて経験してきた様々な出来事や感情を呼び起こす。そこで暮らす人々にとっては、大切な意味を持った風景だ。おそらく、並べられたどの写真にも、福島の人々にとって大切な意味を持った風景が写されている。
写真家は、そこで生活する人たちの心に出来得る限り近づこうとしながらシャッターを切ったのではないか。福島の人々の目線で撮られた風景は、自ずと視る者に福島の人の目線で視ることを強いる。
それぞれの写真からは、「そこで生活を営む人の目線で風景を眺め、さらにイマジネーションを働かすことで初めて、視る者は福島の悲しみや怒りに少しでも触れることができるのだ」という静かで強い意志を感じた。



5月3日、会場で催されるオープニングトークに鄭周河が招かれているということもあって、「奪われた野にも春は来るか」〜鄭周河(チョン・ジュハ)写真展〜(立命館大学 国際平和ミュージアム、京都)に行ってきた。
会場で見た鄭周河の、ある意味人間離れした、我というものを感じさせることのない、静かで謙虚なまなざし、表情は、ひときわ異彩を放っていた。さすがにトークの際には、熱い語り口とともに表情は一変したものの、普段の限りなく穏やかな表情からは、被写体を見つめる「当事者としての眼」を獲得するために払われたであろう、並々ならぬ苦労や努力が窺われた。
鄭周河という写真家をひと目見られただけでも、はるばる京都まで日帰りで写真展にやってきた意味を感じた。鄭周河は、それほどの佇まいを持っていた。



多くの人々の命を飲み込んでいった海は、再び穏やかな表情を取り戻し、水平線の彼方は、祈りの対象となった。そして、東北の空には、震災前と変わらぬ美しい星々が輝いている。
順路の締めくくりに並べられた数枚の写真からは、「春は来るか」という問いへの答えになるかどうかは分からないが、これからの希望を見出そうとする願いを強く感じた。